酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
イチローは盗塁記録もやっぱり別格。
伝説に残る強肩捕手との一騎打ち。
posted2018/06/16 11:30
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
AFLO
思えば、イチローには本当に長い間楽しませてもらっている。
1995年の日本シリーズ第4戦、野村克也監督率いるヤクルトは、オリックスの3番イチローを徹底的にマークし、延長12回まで6打数1安打に抑えた。古田敦也はすさまじいリードをした。
しかし、ヤクルトはイチローの後ろを打つ4番D・Jに決勝本塁打を打たれた。試合終了は11時をとうに回っていた。私は試合に夢中になって、生まれたばかりの下の子をお風呂に入れるのを忘れ、奥さんにすさまじい勢いで怒られた。関西の古い言葉で言うと「ババたれ猫のように叱られた」のだ。
それから幾星霜、その娘はこの春めでたく社会人になり、私のダジャレを鼻で笑うほどに立派になった。この間、イチローはずっと「野球」をしていた。そして常に私たちの心を浮き立たせた。感謝のことばしかない。
対照的な盗塁マスター、福本と広瀬。
このコラムではこれまでもイチローを何度か取り上げたが、改めてイチローの魅力をひとつひとつ掘り下げたい。今回は「盗塁」だ。
「盗塁」には2つの「思想」があるのをご存じか。
ひとつは「いつでも、どんな状況でも先の塁を狙う」だ。日本で盗塁が大きく注目を集めたのは、イチローの大先輩にあたる阪急ブレーブス、福本豊の登場からだ。福本は1972年には当時のMLB記録を上回るシーズン106盗塁を記録している。福本は盗塁数を稼ぐために、どんどん塁を奪い、通算盗塁数は1065を数えた。
もう1つは「必然性のある盗塁だけをする」だ。勝利につながる状況や、相手チーム、選手にダメージを与える状況でのみ、確実に次の塁を奪う。その代表と言われたのが、南海ホークスの広瀬叔功だ。広瀬も5年連続盗塁王、昭和30年代後半に圧倒的な成績を残したが、大差がついた試合や消化試合ではあまり走らなかった。そして、確実に次の塁を奪える状況でのみ、盗塁をした。