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頸髄損傷を乗り越え皆で富士山頂へ。
慶大ラグビー部員たちの固い絆。
text by
多羅正崇Masataka Tara
photograph byMasataka Tara
posted2018/06/08 10:30
(左から)村田毅、杉田秀之、小澤直輝。富士登山に向けて杉田さんがトレーニングを積む「竹田塾」にて。
先端のリハビリに取り組んで復学。
そんな時だった。ある日、リハビリセンターにいた車椅子の男の子に声を掛けられた。
「お兄ちゃんは歩けていいね」
確かに歩行訓練はしていたが、自分にしてみればまったく歩けていなかった。しかし車椅子の男の子にしてみれば、素晴らしいことなのだと気づかされた。
やがて小さな使命感が芽生えた。
「僕はいろんな人に支えられてきました。今度は僕がこういう子どもたちを支える番だと、使命感のようなものを覚えたんです。未来は自分次第で切り開けるということを伝えていきたい。子どもたちの希望になれたらいいなと思いました」
そんな使命感を胸に秘め、アメリカ・サンディエゴでは先端のリハビリに取り組んだ。渡米にあたっては2008年発足の「杉田基金」の支えが大きかった。そして帰国後の2009年、杉田さんは慶大に復学した。
仲間の変わらぬ“無遠慮”が嬉しかった。
杉田さんの同期で、現在は日野レッドドルフィンズの主将を務める村田毅は、慶大4年の春をこう振り返る。
「僕らが4年生の時に、杉田が『最後の1年間はみんなと過ごしたい』というので、グラウンドで挨拶をしたことはすごく覚えています」
杉田さんは同期との最後の1年間を、慶大ラグビー部のスタッフとして過ごした。世田谷区ラグビースクールで楕円球に出会い、慶應高校では主力選手だった杉田さんにとって、ラグビーとその仲間は帰るべき場所だった。
なにより、仲間の変わらぬ“無遠慮”が嬉しかった。
「僕らは杉田を健常者扱いするんですよ」と村田は陽気に笑う。同じく慶大同期で、サントリーサンゴリアス所属の小澤直輝も「僕らは良い意味でも悪い意味でも、杉田に気を遣わないんです(笑)」。同期にとって、同期は同期でしかないのだ。