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ラグビー'15年W杯戦士、決意の移籍。
木津武士「このままやったらアカン」
posted2018/06/04 10:30
text by
多羅正崇Masataka Tara
photograph by
Masataka Tara
もうひと花咲かせるために、自分を変えたい。
「世紀の番狂わせ」と呼ばれた2015年ラグビーW杯の南アフリカ代表戦で、逆転を懸けた勝負のスクラムを組んでいた木津武士(きづ・たけし)は、今春、危機感を抱えて東へ400キロ移動してきた。
「『このままやったらアカン』と思って、人生に変化をつけました」
神戸(兵庫)から日野(東京)へ。29歳の大きな決断だった。
この6月にイタリア代表、ジョージア代表と対戦するラグビー日本代表のメンバー33名が、5月23日に発表された。そこに2009年から代表44キャップを重ねた木津の名前はない。
代表からは2016年11月以来遠ざかっている。スーパーラグビーの日本チーム、サンウルブズにも発足1年目から2季連続で参加したが、今季はメンバーに入っていない。
ラグビー国内最高峰のトップリーグでは、昨季も在籍7年目の神戸製鋼コベルコスティーラーズで好調だった。だからこそ、危機感は募った。
「去年は神戸で15試合に全部出場して、自分なりにパフォーマンスも悪くなかったんですけど、代表から招集が掛かりませんでした。代表やサンウルブズに入れなくなってきて、『このままやと入られへんのかな』と考え始めて」
「リーダー的なことから逃げてきた」
栄光に彩られたアスリート人生だ。東大阪市出身で、幼少期から始めた相撲では、中学卒業時に9つの相撲部屋から声が掛かるほど有望だった。
東海大仰星高では3年時に全国制覇、東海大学では大学選手権準優勝を経験。卒業後はトップリーグ初代王者の名門・神戸製鋼に進んだ。
身長183センチ、体重110キロ超の体格に加速性能やら精神力やらが満載で、おまけにダンディな風貌だから行く先々でスターになる。しかし本人にしてみれば、至らない点もあったという。
「代表や神戸、大学でもそうだったんですけど、リーダー的なことをしたことがなくて。そういうことから逃げてきたタイプでした。まずはそういうところを変えようと」