燕番記者の取材メモBACK NUMBER
川端慎吾、頭部死球からの復活へ。
一軍復帰がヤクルト逆襲の時に。
posted2018/06/03 07:00
text by
浜本卓也(日刊スポーツ)Takuya Hamamoto
photograph by
Kyodo News
“たら・れば”が禁物なのは分かっている。だが、二軍で汗を流すヤクルト川端慎吾内野手の姿を見ると、こう声をかけずにはいられなかった。
「あの1球がなかったら、って思うことはないか――」
川端は少し間を置くと、優しくほほ笑み、首を左右に振った。
4月3日広島戦、7回1死での第4打席だった。広島今村猛投手が投じた“1球”が、川端の頭部を直撃した。その場に倒れ込み、動けない。頭部を固定された状態のまま担架で運ばれた。都内病院でのCT検査を受け、結果に異常はなかった。川端も「大丈夫です」と気丈に振る舞ってはいた。だが、開幕戦で本塁打を放って好スタートを切ったはずのシーズンの歯車が、少しずつ狂い始めた。
死球前は2割7分3厘だった打率が、死球後は64打数10安打で1割5分6厘と急降下。本塁打も開幕戦以来、1本も出ていない。優勝した2015年の首位打者のバットは湿り、先発メンバーを外れてベンチを温める機会が増えた。そして5月21日、けが以外では'10年5月19日以来、8年ぶりに出場選手登録を抹消された。
'15年首位打者が苦しんだヘルニア。
ヤクルトの主力を張り続ける川端に訪れた、新たな試練だった。'05年高校生ドラフト3巡目で市和歌山商から入団。巧打の内野手として期待する周囲の思いに、着実に応え、'15年には打率3割3分6厘、195安打で首位打者と最多安打のタイトルでリーグ優勝に貢献した。
ただ、長年痛みに悩まされてきた腰が、悲鳴をあげていた。昨年8月31日には、椎間板ヘルニアの摘出手術を決断した。自身が一軍出場なしに終わった'17年、チームは96敗と歴史的大敗の屈辱を味わっていた。
チームの力になれなかった自分への悔しさに、さいなまれた。「1人でリハビリすることが多くて、寂しかった」。苦しむ仲間を見ているだけしかできない自分が、歯がゆかった。だからこそ、今季に懸ける思いは人一倍強かった。