サッカー日本代表 激闘日誌BACK NUMBER
岩本輝雄が語る代表デビュー戦秘話
posted2018/06/08 10:00
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岩本輝雄Teruo Iwamoto
photograph by
AFLO
キリンカップサッカー1994(広島 広島ビッグアーチ)
日本 1-1 オーストラリア
日本代表は、僕にとって「雲の上のような存在」でした。
フジタでJFLを優勝して、ベルマーレ平塚としてJリーグに昇格した1994年。元ブラジル代表の“黄金の中盤”ロベルト・ファルカンさんが日本代表監督に就任して、その最初の試合となるキリンカップのメンバーに選出されました。このときは嬉しいというよりも「本当に自分でいいの?」とまず驚きましたね。
ただ、何故だかブラジルの人と僕はサッカーの相性がいい。ベルマーレ監督のニカノールさんのもとで攻撃的なサイドバックとして成長させてもらいましたし、実は高校卒業後のルーキー時代に住友金属戦に出場してファーストタッチゴールを決めて、あのジーコさんからも「ウチに来ないか」と誘われたんです。Jリーグで試合をやっていても横浜フリューゲルスのエドゥーさんからは「お前は代表でやれる」と言われていました。
それにオフトジャパン時代、左サイドバックの都並(敏史)さんがケガをして、僕をチェックしているとも聞いていました。もちろん日本代表入りは目標だとしても、まだ現実的に考えていないなかで声が掛かったわけです。
メンバー発表の歓声に鳥肌が。
デビュー戦は5月22日、広島ビックアーチのオーストラリア代表戦。ファルカンさんになって初めての試合で、左サイドバックで先発しました。
Jリーグでは緊張しないのに、このときはド緊張でしたね。メンバー発表のとき、すごい歓声が聞こえてきて鳥肌が立ちました。ピッチに入場して、スーパースターのカズさん(三浦知良)と一緒に並んでいると思うと、ちょっと夢心地でした。だってカズさんを見たくて試合を観に行ったこともありましたから。その人と、同じように日本代表のユニホームを着て並んでいるって、不思議な感覚に包まれていました。
試合が始まって、センターバックの井原(正巳)さんに中途半端なバックパスをしてしまった。それをかっさらわれてピンチになったんですけど、うまく対処してもらって助けられました。“井原さん、さすがだな”って思ったことを覚えています。
オーストラリア代表は強かったです。1993年にアメリカワールドカップの大陸間プレーオフでアルゼンチン代表と戦っていて、いいゲームをやっていました。実際、対面の右サイドの選手がとにかく速くて、簡単じゃないなとは思いました。