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ノムさんに酷評されたリードは過去。
西武・炭谷銀仁朗が榎田復活を支援!
text by
永田遼太郎Ryotaro Nagata
photograph byAFLO
posted2018/05/16 10:30
炭谷(中央)はWBCに2013年の第3回、2017年の第4回と2大会連続で出場している。
オールスターではノムさんから酷評。
今も忘れられない試合がある。
2011年7月22日のナゴヤドーム。オールスターゲームでコンビを組んだ武田勝(元北海道日本ハム)のリードだ。
5回裏、武田は簡単に1死を奪ったが、荒木雅博(中日)、畠山和洋(ヤクルト)、ウラディミール・バレンティン(ヤクルト)、長野久義(巨人)に1イニング4本の本塁打を打たれるなど、この回だけで計8連打8失点を許した。
“お祭りムード”が漂うオールスターゲームとはいえ、それまでのシーズン成績が14試合に先発して防御率1.21だった武田である。彼がマウンドで放心状態になる姿は、ブラウン管を通して痛々しく映った。またこの試合の解説をしていた野村克也氏が、炭谷の配球について批判したこともあって“騒ぎ”は大きくなった。
試合後はまるで全ての責任が、炭谷にあったかのように方々から言葉が相次いだ。
「大変なことをしてしまった」
試合後の炭谷はうな垂れた。
当時のことを彼はこう振り返る。
「2011年のオールスターで、1イニング4本のホームラン打たれて8失点して、本当にあのときはどうしたら良いのか分からなくなりました。それで僕はもっと自分主体で配球を考えようと、考えを改めることにしたんです」
まずは自分の考えをやり切ること。
試合後、炭谷は武田のもとへ謝罪に行った。打たれたのはあくまでピッチャーであり、責任の全てを炭谷が被る理由はないにしても、さすがに他チームの先輩に恥をかかせてしまったこの日の夜はひどく落ち込んだという。
「自分はそのときがオールスター初出場だったんですけど、そこから国際大会にも行かせてもらって、本当に色々な経験をさせてもらい、良い勉強もさせてもらったんですけど、その経験があったからこそ今は、まずは自分の考えをやり切る。そういう考えに変えたんです」
もちろん適当な勘に頼って、味方投手をリードしているのではない。
若手時代からナイター終了後は、自宅に帰ってその日の試合をビデオでチェック。気が付くと夜中の2時を過ぎることもざらだった。