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戸田和幸が語る代表デビュー戦秘話 

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戸田和幸

戸田和幸Kazuyuki Toda

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photograph byKazuaki Nishiyama

posted2018/05/11 10:00

戸田和幸が語る代表デビュー戦秘話<Number Web> photograph by Kazuaki Nishiyama

ボランチのはずが右CBに回った。

 僕の思考はネガティブから始まるタイプなので、試合前までの短時間で不安要素を1つ1つつぶして試合に入っていきます。味方の構成はどうか、自分の役割はどうか、相手はどうか。すべてをつぶして「ヨシッ」と思って試合に出ていきます。このときもそうでした。

 しかし予想外のことはあるものです。最初はボランチでやっていたのですが、戦術上の理由で途中から右センターバックに回ることになりました。不安をつぶしてきたのに、中盤でプレーする時間は長くなかった。困ったなあとは思いましたけど、アンダー世代でもトルシエさんのサッカーはやってきていますし、チームのストラクチャーはあったので何をすれば良いかは分かっていました。

 後半に入って、惜しいシュートもありました。中山(雅史)さんに当てて、中に入る人に落としてもらい、アウト気味に掛けて打ちました。ちょうど大型ビジョンにリプレーが出ていてギリギリ入るコースに飛んだんですけど、相手ゴールキーパーに止められてしまいました。フル代表デビュー戦の思い出というと、こんなところでしょうか。

代表戦はしんどかったなという記憶。

 続くカメルーン戦にも出場して、またトルシエさんに褒められました。「このまま続けていけば、ヨーロッパでプレーできるぞ」と。監督が急に褒め始めてきたので、何かのドッキリ企画なんじゃないかって思ったほどです。ただ、気持ちに余裕などはありません。だってこのチャンスを逃がしたら、もう二度とない。ただでさえスペイン遠征で一度逃がしているわけですから。急に転がり込んできたチャンスを、何が何でもものにしなきゃいけない。楽しむ気持ちなど一切なく、とにかく必死でした。ここから日韓ワールドカップまでの1年間、代表戦はしんどかったなという記憶だけです。

 代表には20試合出場して、唯一ゴールを挙げたのが2002年3月21日のキリンチャレンジカップ、大阪・長居で開催されたウクライナ戦でした。

 オフもほぼ休まずに迎えたワールドカップイヤーの代表初戦。練習でやったとおりのプレーだったので、みんながプレゼントしてくれたようなゴールでした。ショートコーナーに自分が寄っていくこと自体、滅多にないですから(笑)。アレックス(三都主アレサンドロ)に戻して、センタリングから最後はアツシ(柳沢敦)が押さえて僕に下げて、インサイドキックで打ちました。シュートコースは見えていましたし、丁寧に蹴れたなとは思います。インサイドキックとインステップキックだけは自信があるので、普段から蹴り込んできた甲斐がありました。ただ、ゴールを決めるとか、ゴールにつながるチャンスをつくるのは僕の役割ではないので「おまけ」がついたなというぐらいですが。

【次ページ】 日本を代表して戦う気概に身震いが。

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