サッカー日本代表 激闘日誌BACK NUMBER
ジャーナリスト後藤健生が目撃した激闘の記憶
text by
後藤健生Takeo Goto
photograph byKYODO
posted2018/04/20 10:00
中国代表キャプテンと試合前にペナントを交換するキャプテン前田秀樹。
徐々に現地で人気になっていった日本代表。
当時の香港は反日感情が激しい時代だったが、テクニックに勝る日本のサッカーは次第に地元の観衆の心もとらえていった。準決勝の北朝鮮戦では日本の中盤でのセンスあふれるパス回しに拍手が起こり、木村がFKのためにボールをセットしただけでスタンドからは「ウォー」という期待の喚声が上がった。
北朝鮮戦でも日本代表がゲームを支配したが、スコアレスで延長に入ってから不運な失点を喫し、終了間際の木村のFKもGKの金昌根に防がれて最終予選への道は閉ざされた。そして、残念ながら当時の日本ではW杯予選などはテレビ中継はもとより、新聞でもほとんど報道されず、「夢の中盤」もまったく注目を集めなかった。
この試合を見て、僕は「日本がW杯に出場するのもそう遠い将来のことではないだろう」と思ったのだが、実際に日本代表がW杯出場権を獲得するにはフランス大会(1998年)まで待たなければならなかった。しかし、この中国戦が「パスワークで中盤を支配する」という後の日本サッカーの原型が初めて見られた試合であり、日本サッカー史にとっての大きなターニングポイントだったことは間違いない。