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史上最悪扱いからバルサの名脇役。
パウリーニョは異彩を放つ肉体派。 

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横井伸幸

横井伸幸Nobuyuki Yokoi

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photograph byGetty Images

posted2018/04/12 07:00

史上最悪扱いからバルサの名脇役。パウリーニョは異彩を放つ肉体派。<Number Web> photograph by Getty Images

バルサの中盤で異彩を放つパウリーニョ。ロシアW杯でもセレソンとして活躍が期待される。

人種差別に給与不払い、問題だらけ。

 パウリーニョの意外な順応は彼の絶え間ない努力のおかげだが、その裏には苦境に屈しない彼の姿勢と、そんな姿勢を彼に植えつけるに至った「ジェットコースターのような人生」がある。

 5歳でフットサルを始めたパウリーニョは、10歳を過ぎた頃からサッカーもするようになり、やがて地元の小クラブ、アウダックスへ移った。そして16歳のときリトアニアのビリニュスに誘われて海を渡る。

 ビリニュスでは同郷の“先輩”8人に囲まれ選手としての基盤を作ったが、数カ月経った頃から「一生忘れられない」人種差別に苦しめられるようになり、ポーランドのウッジへの移籍を決意する。

 しかし、今度は給料の不払いという問題が起きた。

「だからもうブラジルへ帰ることにしたんだ。ただし、契約の最後の日までは我慢した。普通の人ならすぐ出ていくだろうけど」

2週間引き籠もって悩んだ末に。

 家族の元へ戻ったパウリーニョは、サッカーを辞める決断を下した。

「俺は自分の権利のために戦ってきた。約束を守ってきた。でも相手は守らない。それでサッカーが嫌になり、辞めるって決めたのさ」

 だが結局、翻意した。守るべき家族がおり、娘は生まれたばかり。そんなとき、元夫人の言葉が刺さったのだ。

「言われたんだ、『ずっとあなたのために戦ってきた両親に悪いと思わないの? 5歳のときからあなたのためにしてくれたことを忘れるつもり?』って」

 2週間引き籠もって悩んだ末、パウリーニョは帰国直後から声を掛けてくれていたアウダックスに連絡をとり、再びユニホームに袖を通すことに。契約条件は、父親として新たな生活を始めるためのアパートの家賃だった。

【次ページ】 「俺を表現する言葉は『乗り越える』だ」

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