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ベガルタ一筋、J1通算200試合目前。
菅井直樹とスケート加藤条治の絆。
posted2018/03/28 16:30
text by
杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph by
J.LEAGUE PHOTOS
沖縄、宮崎での35日間のキャンプを終えた翌日だった。2018年2月19日の夜、ベガルタ仙台一筋16年目の菅井直樹は仙台の自宅で1人、テレビの前に腰を下ろし、55インチの大画面に映る親友の姿に釘付けになっていた。
平昌五輪のスピードスケート男子500m。自身4度目の五輪に挑む加藤条治がスタートでフライングを取られると、まるで自分のことのようにひやっとした。2度目の号砲。片時も目が離せなかった。駆け抜けるようにコーナーを回っていく同級生の勇姿はまぶしく見えた。結果は2大会ぶりのメダルこそ逃したものの、6位入賞。
「やっぱり、いつ見てもリンクで滑っている条治の姿はかっこいいよ」
「直樹、早くJ1に上がってくれよ」
山形中央高の体育科で机を並べて一緒に授業を受け、他愛のない話で盛り上がり、部活が休みの日には街に遊びにも出掛けた。高校1年時のスキー合宿で意気投合してから、33歳の今までずっと気の置けない間柄だ。高校を卒業してからも連絡が途絶えることはなく、互いの休みが合えば、旅行にも行く。
温泉に浸かりながら年を越し、ゆっくりと積もる話をすることもあった。久しぶりに顔を合わせても、互いの競技について話すことはほとんどない。それでも、J2での戦いが長く続いていた10年ほど前にふと言われた言葉は、今でもよく覚えている。当時の加藤は'06年トリノ五輪を経験し、'10年バンクーバー五輪では有力なメダル候補と期待されていた。
「直樹、早くJ1に上がってくれよ」
菅井は高校を卒業した'03年に当時J1の仙台に入ったものの、その翌年には降格。'04年から'09年までは、ずっとJ2で過ごしていた。
「年齢も重ねていたし、俺もやらなきゃいけないって、あらためて思った」