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ベガルタ一筋、J1通算200試合目前。
菅井直樹とスケート加藤条治の絆。
text by
杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph byJ.LEAGUE PHOTOS
posted2018/03/28 16:30
好調な出だしを見せた仙台にあって、菅井直樹は最終ラインから存在感を見せつける。
J1復帰の'10年、条治は銅メダル獲得。
ワールドカップ、五輪という世界の舞台で戦い続けていたスケーターのひと言は、刺激になったという。それから約1年後の'09年秋の暮れ。あと一歩で逃し続けてきたJ1切符をようやくつかんだ。「あのときの条治の言葉は、俺にとったら大きかった」としみじみ振り返る。
プロ8年目。時間はかかったが、スタートラインに再び立つことができた――。
'10年2月15日、宮崎キャンプで必死に走り、念願のJ1開幕に向けて汗を流していた。いつものようにチーム練習を終えて、宿泊先のホテルに戻ると、その日は部屋のテレビの前から離れることができなかった。バンクーバー五輪のリンクに立っていたよく知る顔は、いつもに増して輝いていた。レース後に表彰台に上がり、銅メダルを手にする姿を見ると、いろいろな感情がこみ上げた。
「本当にすごいなと思ったし、友達として素直にうれしかった。その反面、(俺だけ)置いていかれている感じもした。いまの俺とは、天と地くらいの差があるって」
どれだけ加藤が前を走っても、菅井にとって遠い存在になることは一度もなかった。むしろ、内に秘める闘志に火がついた。互いに年齢を重ねて、置かれる立場が変わってきても、2人の関係性は変わらない。
親友であり、ずっとライバルだから。
「親友であり、ずっとライバルだと思っているから」
'10年にJ1復帰を果たしてからJ2に降格したことは一度もなく、9年連続でトップカテゴリーのピッチに立ち続けている。いまではJ1通算199試合出場('18年J1第4節終了時点)となり、J2時代の186試合出場をすでに超えた。主に右サイドバック、右アウトサイドの欠かせぬ戦力としてチームを支え、クラブ歴代最長の在籍期間を誇る最古参となっている。
ただ、実績だけで定位置を確保できないのがプロの世界。今季はこれまでにないほど厳しいシーズンとなっている。開幕前のキャンプで渡邉晋監督から個別に呼び出されて、新しいポジションに挑戦することを促された。
仙台は昨季から本格的にチームのプレーモデルが変わり、システムも3-4-2-1へ変更。指揮官は右アウトサイドの先発で起用することが難しいかもしれないと直接告げ、3バックの一角としてプレーすることを勧めた。
「キン(菅井)ならできると思う。1対1に強いし、適性はある。“生え抜き”として、踏ん張ってもらいたい」