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イタリア代表と“耽美主義”の血筋。
異端者ゼーマンの弟子に託す復活。 

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手嶋真彦

手嶋真彦Masahiko Tejima

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photograph byGetty Images

posted2018/03/28 10:30

イタリア代表と“耽美主義”の血筋。異端者ゼーマンの弟子に託す復活。<Number Web> photograph by Getty Images

ディビアージョ暫定監督(前列中央左)のもとでアズーリは再出発の時を迎えている。

ゼーマンに師事し、脚光を浴びた3人。

 先に紹介した発言で、ベッラッティがズデネク・ゼーマンの名前を持ち出したのは、要求が多岐に渡る戦術家の単なる象徴としてではないだろう。インモービレ、インシーニェ、そしてベッラッティの3人は、2011-2012シーズンにクラブチームで同じ釜の飯を食い、いずれも脚光を浴びた過去を共有している。

 わずか1シーズンではあったが、ペスカーラ監督時代のゼーマンに師事し、それぞれ大ブレイクを遂げているのだ。

 当時22歳のインモービレは28ゴールを挙げて、セリエBの得点王に輝いた。20歳だったインシーニェは18ゴールに加え14アシストを記録し、19歳だったベッラッティは4-3-3システムの中盤の底で攻守の要となった。これらの新鋭を登用したゼーマン新監督の下でペスカーラはイタリア2部リーグを制し、セリエA昇格を成し遂げている。

 インモービレ、インシーニェ、ベッラッティの3人が共有しているのは、個々の飛躍の記憶だけではない。組織的にゴールを量産した掛け替えのない成功体験だ。2011-2012シーズンのペスカーラが記録した90ゴールは、前年の44ゴールはもちろん、最後までセリエBの頂点を争った2位トリノ(監督はベントゥーラだった)の57ゴールと比べても群を抜いて多かった。

「私にとっては不変の基準点だ」

 時系列でその90ゴールを振り返ると、ひとつの傾向が浮かび上がる。シーズンが深まるにつれて、得点の仕方が洗練されていったのだ。連動性が高まり、その分だけ、ゴールを陥れるまでの手数が減っていたからだろう。

 ゼーマンの門下生は、この3人だけではない。

 ベントゥーラの後任として、イタリア代表の暫定監督に指名されたルイジ・ディビアージョは、それこそ高弟のひとりなのだ。

 今から5年ほど前の2013年4月には、あるネットメディアのインタビュー内でゼーマンとの関係を次のように振り返っている。

「間違いなく、もっとも多くを教えてくれた監督。私にとっては不変の基準点だ」

【次ページ】 攻撃至上の信念を叩き込まれて。

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