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岩瀬仁紀が迫る前人未到の1000登板。
年間50試合以上16回、異常なタフさ。 

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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photograph byKyodo News

posted2018/03/12 11:30

岩瀬仁紀が迫る前人未到の1000登板。年間50試合以上16回、異常なタフさ。<Number Web> photograph by Kyodo News

岩瀬はオープン戦でプロ入り当時の監督だった星野仙一さんの追悼ユニホームで登板した。タフさを今年も証明する。

誰も成し遂げていない「1000試合登板」。

 このオフ、岩瀬仁紀は、ベテランの悲哀を味わった。日本ハムから捕手の大野奨太がFA移籍するにあたって、中日は人的補償のためのプロテクトリストを日本ハムに提示したが、そこから岩瀬の名前が漏れていたという。

 過去にも現ソフトバンク監督の工藤公康や、江藤智など、名だたる選手が人的補償で移籍したことがあるが、ドラゴンズ一筋19年の大選手がそういう形で移籍するとすれば、いかに実力の世界とは言え、切ない話だった。

 結果的に岩瀬は中日で今季もプレーすることになった。彼の心中推して知るべしだが、今年、岩瀬はものすごい記録を達成しようとしている。

 それは「1000試合登板」である。日本プロ野球82年の歴史でこれを達成した投手は1人もいない。

<登板数歴代5傑 実働期間と投球回数>
1 岩瀬仁紀 954登板(1999-現役)950回
2 米田哲也 949登板(1956-1977)5130回
3 金田正一 944登板(1950-1969)5526.2回
4 梶本隆夫 867登板(1954-1973)4208回
5 小山正明 856登板(1953-1973)4899回

数字だけ見れば昭和より軽く見えるが。

 2位以下には昭和の時代の大投手が並んでおり、すべて200勝以上。こうした投手たちは、先発と救援を掛け持ちし、連投、3連投もいとわず投げまくっていた。

 昭和の大投手の投球回数は、岩瀬の数倍に達する。一方で岩瀬はまだ1000イニングにも達していない。

 数字だけを見れば、1登板で1イニング以下しか投げていない岩瀬の負担は、大先輩たちに比べれば軽いように見えるかもしれないが、先発、救援の分業が確立して以降のプロ野球は、昭和中期の野球とは全く別物になっている。投打ともに進化しているのだ。

【次ページ】 森繁和監督が語っていた「消耗度」。

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