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岩瀬仁紀が迫る前人未到の1000登板。
年間50試合以上16回、異常なタフさ。

posted2018/03/12 11:30

 
岩瀬仁紀が迫る前人未到の1000登板。年間50試合以上16回、異常なタフさ。<Number Web> photograph by Kyodo News

岩瀬はオープン戦でプロ入り当時の監督だった星野仙一さんの追悼ユニホームで登板した。タフさを今年も証明する。

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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 この2月、私は宮崎、沖縄、高知の18カ所のプロ野球キャンプを回った。今年の春季キャンプは国内外、一・二軍併せて22カ所で行われたから、それでも回り切れなかったわけだが、これだけ回ったのは私のキャリアハイだった。

 気温27度の石垣島、ロッテキャンプでは、冷房が利いたバスにダウンジャケットを小脇に抱えて乗り込んでTシャツ半パンのあんちゃんの失笑を買い、粉雪舞う宮崎、南郷町の西武キャンプでは中畑清さんの「俺が来てるのに雪だとよ!」という雄たけびを聞いた。なかなか大変な毎日だった。

 12球団のキャンプで最も印象に残ったのは、沖縄県・北谷町(ちゃたんちょう)で行われていた中日の一軍キャンプだった。地元の協力会の話ではファンの数が倍増したという。言わずと知れた松坂大輔効果だ。売店の数は増え、松坂の背番号「99」のレプリカユニフォームが飛ぶように売れた。

 球団はブルペンの外に観客席を新設、キャンプそのものの雰囲気も明るくなったように思った。

93歳杉下さんが43歳岩瀬を見つめる。

 ブルペンでは松坂大輔をはじめ中日の投手陣が連日投げ込みをしたが、それをじっと見つめる長身の老紳士がいた。杉下茂さんである。ことし9月には93歳になる。1月4日に逝去した星野仙一さんの前の前の背番号「20」。星野さんの22歳年長である。

 私は『巨人軍の巨人 馬場正平』という本を書いたときにお話を伺った。そのときすでに90歳だったが、背筋はぴんと伸びていて、打てば響くように言葉が返ってきて驚いたものだ。

 私が中日キャンプを見に行った日、杉下さんがとりわけ熱心に見ていたのが背番号「13」、岩瀬仁紀だ。1974年11月生まれ。このほどシアトル・マリナーズに復帰が決まったイチローの1学年下。球界最年長選手はゆったりとしたフォームからボールを投げ込んでいた。

 私はブルペンで杉下茂と岩瀬仁紀、年の差49歳の2人のレジェンドが並んで立つのを目に焼き付けた。

【次ページ】 誰も成し遂げていない「1000試合登板」。

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