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“スーパー小学生”から十数年……。
高木美帆にかかる日本勢メダル第1号!
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph byNaoya Sanuki
posted2018/02/10 08:00
バンクーバー五輪、団体パシュートで銀メダルを獲得した時の高木美帆(写真右)は控え選手だった。左から、田畑真紀、小平奈緒、穂積雅子。
周囲の予想以上に活躍してしまった難しさ。
スケートが盛んな北海道中川郡幕別町で3人兄妹の末っ子として生まれ、兄や2歳上の姉・菜那(日本電産サンキョー)と一緒にスケートに通うようになった。小学校高学年になるとメキメキと頭角を現し、小6で高校生の記録を上回るタイムを出すほど。地元では“スーパー小学生”として知られ、いつしか「ソチ五輪の目玉候補」とささやかれるようになっていた。
ところが周囲の予想をはるかに超える急成長をしてしまう。
中学3年生でバンクーバー五輪代表選考会に勝って五輪切符を手にしたとき、高木美帆は、「(選考会期間の)この3日間で人生が変わっちゃいました」と屈託のない笑みを浮かべた。
国際スケート連盟(ISU)の五輪出場資格では、五輪前年の6月末までに15歳になっていることが必要だったが、高木美帆の誕生日は5月22日。わずかの差で規定をクリアするという「運」も持ち合わせていた。
15歳の少女は谷底も経験しながら、たくましく成長した。
しかし、スピードスケートの史上最年少選手として出場したバンクーバー五輪では下位に沈み、ソチ五輪は出場権を逃した。
そしてバンクーバー五輪から8年。
15歳の少女は谷底も経験しながら這い上がり、たくましいトップアスリートへと成長して、平昌五輪を迎えている。
「以前はあまり“オリンピック”と言っていなかった。それは、オリンピックを特別に思うことが怖いと思っていた部分がきっとあったからだと思う。今、こうして目の前にオリンピックが迫ってきて、やっと特別な大会だと思う覚悟もできてきた」