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星野仙一のスーツを作り続けた男。
昨年冬に「タキシードの肩が……」。 

text by

神津伸子

神津伸子Nobuko Kozu

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photograph bySports Graphic Number

posted2018/02/04 08:00

星野仙一のスーツを作り続けた男。昨年冬に「タキシードの肩が……」。<Number Web> photograph by Sports Graphic Number

星野仙一の「落ち着いていながら華がある佇まい」は、斎藤清治の作ったスーツが支えていたのだ。

昨年末のパーティーで、タキシードの肩が……。

 会社としてのキャラクター契約は、2014年に星野が楽天の監督を辞したタイミングでひと区切りした。しかし斎藤は、その後も同じペースでスーツを作り続けた。

 星野のサイズは知り尽くしていたはずなのに、昨年末の野球殿堂入りを祝うパーティーの席で、気になる事があった。約1000人の招待客を前にした星野のタキシードの「肩が浮いていて、だぶついていた」のだ。

 何だか嫌な感じがしたが、話すといつもの元気な様子と変わらなかったので、そのまま流してしまった。

「あの時、気が付いていたら」

 斎藤の頭には、今もその後悔が残っている。

星野が歌い始めると、空気が一変した。

 斎藤には、忘れられない夜がある。

 その日は星野の誕生日だった。

 2回目の中日の監督時代、名古屋市内のスイートルームを取り、仲間うちで星野の誕生祝いの会が開かれた。何回目の誕生日だったかは、定かではない。宴もたけなわになり、では歌うか、という流れになった。数曲が終わった後、星野がマイクを手にした。

 そして、静かに歌い始めた時、その場にいた全員が、星野の真の姿を垣間見た気がして震え、斎藤は熱いものがこみ上げた。

 その後も何度か耳にしたが、その度に斎藤は涙を堪え切れなかった。

 星野仙一がこよなく愛した曲は、最愛の“母”を歌い上げたものだった。

 さだまさしが作詞・作曲した『無縁坂』。

 薄幸な母が、若い頃から苦労して息子を育て上げ、どんなに辛くても前だけ見て生きていこうと、小さな息子を諭す。息子は、母のやわらかく白い手が忘れられなかった。

 やがて、母は年を重ね、自分は母の背を追い越して、成長していく。あんなにやわらかく温かかった母の手も、老いて小さくなってしまった。

 その変化の中に、母の女として決して幸福ではなかった姿を読み取り、そして感謝を重ねていく。そんな歌である。

 星野が生まれる数カ月前に父・仙蔵は病のために急逝している。星野は父の顔を知らない。

 残された息子が、母・敏子に育て上げられた事はあまりに有名な話で、あえてここで記すことは、何もない――。

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