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星野仙一のスーツを作り続けた男。
昨年冬に「タキシードの肩が……」。
text by
神津伸子Nobuko Kozu
photograph bySports Graphic Number
posted2018/02/04 08:00
星野仙一の「落ち着いていながら華がある佇まい」は、斎藤清治の作ったスーツが支えていたのだ。
監督就任が白紙になり、サイパンで過ごした3日間。
こんな事もあった。
中日が低迷し、巷では監督交代がささやかていたとあるシーズンの事だ。解説者だった星野にも再登板の打診があったのだろう。オフシーズンに備え、星野はスケジュールを真っ白にして待っていた。しかし、ドラゴンズの追い上げが凄まじく、結局2位で終了。
交代話は立ち消えになってしまった。
そのオフに星野と斎藤は、サイパンに2泊3日のCM撮影に出かけた。撮影は順調に進んで1日で終了したが、帰国しようとする斎藤に対して星野は「いや、つき合ってよ」と。丸2日間、ゴルフに食事に「今思えば、実に贅沢な時間を2人で過ごしました。撮影ではいつもせっかちで、早く早くと煽られたんですけどね」(斎藤)。
星野自身は、ネクタイ、チーフといった小物やワイシャツも数100枚単位で持っていた。こだわりもあり、プライベートでは白や薄いブルーのジャケットを好んだ。2003年にはベストドレッサー賞も受賞している。
有り余ったスーツを周りの人間に気前良くプレゼントすることもあった。
阪神監督時代は、コーチ陣にもよく送った。彼らはとても喜んだが、唯一困ったのが、ジャケットの裏に入ったネームの刺繍だ。
当時、あまりにスーツが多いので、ジャケットには星野の名前と一緒に作られた年の数字が入っていた。例えば2001年に作られたものは、「01星野」といった具合だ。ネームを何とかならないかと相談が多々寄せられ、斎藤は刺繍の変更に気持ち良く応じた。
紺のブレザーには「なんだか地味やな」。
そんな星野でも、時には専門家である斎藤に相談することがあったという。
「今度、ゴルフのマスターズの仕事が入ったんだが、そういう時はどんなものを着て行くのだろう、全くわからん」
2005~07年、TBSのマスターズ中継で星野はスペシャルナビゲーターを務めている。
斎藤は迷わず「それは絶対、紺ブレですよ」と答えた。
紺のパンツも一緒に作り、スーツっぽく着こなしても良し、グレーや白のボトムに合わせてもお洒落な着こなしが出来ると提案した。
星野は躊躇した。「紺かぁ。何だか地味やな」。
とはいえ代替案も無く、しぶしぶ紺のブレザーと合わせやすいパンツ一式を抱えて、マスターズに向かった。
ところが、帰国報告の声は弾んでいた。「いやぁ、よかったよかった。本当にありがとう!!」
解説の中嶋常幸、岩田禎夫ともに紺のブレザーで、実にバランス良く気持ち良く仕事ができたと興奮気味だったという。