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浦和を愛し、浦和に愛された男。
那須大亮の幸福な5年間と旅立ち。 

text by

二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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photograph byJ.LEAGUE PHOTOS

posted2018/01/18 08:00

浦和を愛し、浦和に愛された男。那須大亮の幸福な5年間と旅立ち。<Number Web> photograph by J.LEAGUE PHOTOS

2017年にACLでの優勝を体験したことも、那須大亮にとっては忘れられない記憶になることだろう。

初めてのベストイレブンも、浦和でのことだった。

 那須は熱く語っていた。

「レッズでやれる喜びを感じながら日々、取り組むことができています。クラブの恩に報いるためには、勝っていくしかない。勝つためなら、僕はグラウンドですべてを出し切ってぶっ倒れてもいい。それなら本望ですよ」

 グラウンドでぶっ倒れるなら、本望――。

 その気持ちが本物であることは、他ならぬ、サポーターやスタッフ、周りの人たちが分かっていた。魂と魂の共鳴。だからこそ男気の薩摩隼人は、浦和レッズを愛する人々の熱源の象徴として愛されてきたのだった。

 柏レイソルから移籍してきた2013年、レッズでのチャレンジは控えの立場からスタートした。そこからレギュラーに定着して、初めてJリーグベストイレブンに選出された。'16年からは出番が減ったものの、「いつでもチームの助けになる準備をしっかりやっておく」と練習から目はギラついていた。居残りの自主練習も、やりすぎないギリギリまで取り組んだ。

“やってやる感”をどんな状況でも漂わせて。

 いかなる状況に置かれようとも“やってやる感”が漂う人である。

「僕のポリシーは、あきらめないこと。試合に出ていないときも、そこで成長できる。最後の1秒まで戦い続けるのが自分なんで。今は出番がなくても、きっとチームの助けになるときが来ると信じてやっています。

 才能に恵まれたタイプじゃないことはもちろん分かっています。地べたをはいつくばってでも必死で食らいついていく。そういう精神じゃないと、成長なんてない。試合に出ているときも出ていないときもいろんなものを感じて、チャレンジしながらやっています」

 出番が少なくなって、ルーティンになっていたリカバリーのやり方を丸っ切り変えてみた。ヨガもやった。試合に出ていないことで、より追い込むようにした。

“試行錯誤”というより“チャレンジ”だった。

【次ページ】 浦和のオファーは嬉しかったが、成長するための決断。

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