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山田直輝「自分が甘ちゃんだった」
浦和の愛に溺れた4年前と今は違う。
posted2018/01/13 08:00
text by
轡田哲朗Tetsuro Kutsuwada
photograph by
J.LEAGUE PHOTOS
「あの時は自分が甘ちゃんだったな、と」
山田直輝は、ちょっとした過去を思い返してそう呟いた。浦和レッズの下部組織で育ち、早くから頭角を現した存在は、昨季まで3シーズンにわたって湘南ベルマーレへ期限付き移籍の延長を繰り返し、今季から浦和に戻った。
山田と浦和の関係は、少し特別なものがあると言える。彼は、さいたま市に合併する前の旧浦和市で育ち、小学校時代はFC浦和、中学と高校ではそれぞれ下部組織で日本一になった。
特に、高校3年時に浦和ユースが優勝した2008年の高円宮杯全日本ユース選手権では、決勝で名古屋グランパスの同年代を相手に9-1という鮮烈なスコアで勝利を飾った。
当時のメンバー表には、今や日本代表に定着した1歳下の原口元気のほか、岡本拓也、濱田水輝、永田拓也、高橋峻希、阪野豊史といった、浦和のトップチームでプレーした経験を持つ選手たちが並ぶ。
その中心に君臨していたのが山田であり、翌年にはトップ昇格後に試合出場を重ね、日本代表にまで選出された。山田が浦和の中心選手になることは、約束された未来のように感じられていた。
「直輝が埼スタで活躍することを心から願っていました」
クラブとの関係性は、山田も出席した埼玉スタジアムでの新加入選手発表会見で、山道守彦強化本部長が話した言葉からも垣間見える。
「小さい時から知っているので、やっぱり直輝が埼スタで活躍することを心から願っていました。その逆算で、どうしたらそうなるかな、ということをずっと考えて、彼らと相談してやってきたつもりです。埼スタで活躍するのは本人次第なので、頑張って」
人によってキャラクターはあるにせよ、クラブの強化責任者が壇上にいる選手を紹介する際に、「頑張って」というエールを送ること自体が、浦和にとって山田がどれほどの存在なのかを示していると言えるだろう。浦和の人たちや、サポーターたちにとっても、似た感情があるはずだ。