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岡山一成が等々力に帰ってきた理由。
“岡山劇場”次の夢を託す場所。

posted2018/01/10 08:00

 
岡山一成が等々力に帰ってきた理由。“岡山劇場”次の夢を託す場所。<Number Web> photograph by Tsuneyo Sakai

奈良クラブでのリーグ最終戦、ファンに退団の挨拶をした。岡山一成のキャリアは、ここで終わりではない。

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二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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Tsuneyo Sakai

 等々力競技場の「Gゾーン」に、その人はいた。

 熱烈なサポーターが集うエリア。2017年12月2日、川崎フロンターレのリーグ初優勝を信じて39歳の現役ストライカーはサポーターの輪に加わって後輩たちの背中を押していた。

 クラブの功労者、岡山一成。

 ここでプレーしていたのは、10年以上前になる。2000人しか集まらなかった時代は過去になり、スタンドで感じる満杯のスタジアムの一体感は心地良かった。当時の背番号「32」のユニフォームを着込み、ピッチに声を飛ばし続けた。

 首位・鹿島アントラーズが引き分けたため、最終節を5-0で快勝したフロンターレの逆転優勝が決まると、岡山はサポーターたちと抱き合って喜びを爆発させていた。

 クラブOBとして、初タイトルを応援したい。その気持ちともうひとつ、等々力に来たのには大きな理由があった。試合が始まる前、サポーターにはこう挨拶していた。

「俺は今、夢がありません! フロンターレと一緒に夢を見て、はい上がりたい!」

優勝から数日後、興奮は冷めていなかった。

 岡山は、5シーズンにわたって所属したJFLの奈良クラブと契約満了に伴い、退団が発表されていた。次の夢を、見つけられない自分。夢の瞬間を迎えるかもしれない古巣で、何か得られるものがあるはずと思い、奈良から駆けつけたのだった。

 その答えを見つけることができたのだろうか。フロンターレの優勝から数日が経って、岡山と横浜市内のファミレスで会うことにした。優勝の興奮は、まだ冷めていなかった。

「メチャクチャ感動しましたよ。クラブにずっといてくれる(中村)憲剛、監督になった鬼さん(鬼木達監督)たちが成し遂げてくれた。

 特に、鬼さん。僕、選手ほど熱くなれるものはないって思っていましたけど、鬼さんを見て、選手じゃなくても情熱を燃やせられるんやなって、いいものを見させてもろたなって。ああ、こんな夢もあんねんなって」

 引退して指導者の道に進むと筆者が早とちりすると感じたのか、すぐに「いやいや、ちゃいますよ」と打ち消しの言葉が追い掛けてきた。ニカッと、人懐っこい笑みを浮かべながら。

【次ページ】 パフォーマンスに自信はあるが、夢が無ければ。

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