バレーボールPRESSBACK NUMBER
石川祐希の中央大をついに倒して。
筑波大セッター・中根聡太の執念。
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byKiyoshi Sakamoto
posted2017/12/14 17:00
星城高校時代は石川とともに6冠を達成した中根聡太。筑波大でも4年時に主将を務めるなど、中心選手としてチームをけん引した。
小中高と8年間石川と共にプレーし、高校では6冠。
愛知県出身の中根は小学生からバレーボールを始め、4年生の終わりに石川とチームメイトになった。まだ背は小さく線も細かったが、それまでは野球少年だった石川がコーチに「とりあえず打ってみろ」と言われ、難なくスパイクを打った姿を見て「コイツ、すごいな」と驚いたのを今でも覚えている、と笑う。
「石川は、見てパッと表現するのが上手なんですよ。だからうまい人のプレーを見たら、自分も真似をしてやってみるし、それがすぐできる。最初は肘が下がっているとか、野球のクセを怒られていましたけど、そのおかげできれいなフォームになって、中学に入ってからはずっとインナー打ちを練習して自分の技にした。発想もいいし、何よりバレーボールを楽しめる選手なんです」
中学から高校まで、小学校から数えれば共にプレーしたのは8年。星城高校在学時にはインターハイ、国体、春高を2年連続で制し、3冠にとどまらず6冠を達成した。
石川や、後に中大の主将になる武智洸史、現在V・プレミアリーグの豊田合成でプレーする川口太一など高い能力を持った選手が揃うチームで、その多彩な攻撃陣を操った中根の力も快挙達成には一役も二役も買っている。しかし本人は、謙遜ではなく至って冷静にこう言う。
「(星城高校バレーボール部の)竹内(裕幸)先生からいつも『勘違いするなよ、お前らは強くないんだよ』とずっと言われ続けてきたんです。だからどれだけ勝っても調子に乗らずにいられたし、何よりいいパスを返してくれて、どんなトスでも打ってくれるスパイカーがいる。だから僕は『負けたら自分のせいだ』とずっと思っていました」
いつも石川と中央大に跳ね返されてきた。
筑波大に進学後も1年時からレギュラーセッターとして出場を重ね、2年時には全日本インカレで決勝にも進んだ。だが、いつもあと一歩が届かない。常に壁となって立ちはだかったのが石川であり、彼を擁する中大だった。
誰よりもその強さを理解しているからこそ、ただ「勝ちたい」と思うだけで勝てる相手ではないことはわかっている。ベスト16に終わった全日本インカレから1年、勝つために、日本一になるために、できることは全部やろうと、短いインターバルを挟んでダッシュや中距離走を繰り返す独自のトレーニングで体力強化を図ってきた。