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サニブラウンが駆けた変革の1年間。
香川真司やガトリンにも励まされ。
posted2017/10/31 08:00
text by
及川彩子Ayako Oikawa
photograph by
Hiroyuki Nakamura
リオ五輪に出場することは叶わなかった。
世界で勝つために日本を離れて鍛えた
ホープの、知られざる雌伏の時に迫った。
Number932号(2017年7月27日発売)の特集を全文掲載します!
6月24日、日本選手権男子100m。大粒の雨が降りしきるトラックで、サニブラウン・アブデルハキームがついに才能を開花させた。
決して優勝候補ではなかった。
100mは、代表権を狙う本命200mへの弾みになれば、そう思っていた。
しかし、予選で自己ベストを0秒12更新する10秒06を出すと、トップで決勝進出。決勝ではスタートを無難にこなすと、大きなストライドでぐんぐん加速。ライバルをよせつけず、10秒05の自己ベスト、大会タイ記録で初優勝を果たした。その勢いは止まらず、翌日の200mでも自己ベストを0秒02更新する20秒32で優勝。2003年の末續慎吾以来となる短距離2冠を達成し、ロンドン世界陸上への切符を手にした。
2年ぶりの表彰台で大きな笑顔を見せたサニブラウン。「やっと」という気持ちと「勝負はここからだ」という二つの気持ちが交錯していた。栄光と挫折を経験した18歳は、心身ともに逞しく成長していた。
「いつか怪我をすると思っていた」リオ五輪イヤー。
2015年7月、17歳以下の世界一を決める世界ユース選手権で100mと200mの2冠を獲得。200mではウサイン・ボルトの持つ大会記録を破る快挙だった。その翌月には日本チーム史上最年少で北京世界陸上の代表に選ばれ、200mに出場。堂々とした走りで準決勝まで駒を進めると一気に注目が集まった。本人は普通の高校生活を送りたいと望んだが、周囲が浮き足立ち、平常心を保つのが難しくなっていった。
そんな心の動きが影響したのか、冬季合宿中に右足の小指を骨折。リハビリ中に右足を捻挫と相次いで怪我に見舞われた。
練習が積めないまま迎えた2016年、五輪イヤー。日本選手権を控えた6月に致命的な出来事が起こる。インターハイの南関東大会400mリレー直後の練習で左大腿部を肉離れ。リオ五輪、そして最大の目標だった世界ジュニアへの道が絶たれた。
「体のバランスがずれていたので、いつか怪我をすると思っていました」とサニブラウンは当時を振り返るが、心身ともにショックは大きかった。