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片岡治大の引退と“ともあきさん”。
「人見知りのあいつがこれだけ……」 

text by

永田遼太郎

永田遼太郎Ryotaro Nagata

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photograph byKyodo News

posted2017/10/08 09:00

片岡治大の引退と“ともあきさん”。「人見知りのあいつがこれだけ……」<Number Web> photograph by Kyodo News

片岡の語り草と言えば、2008年日本シリーズの好走塁。佐藤から受けた教えは、ひとつひとつのプレーに生きていた。

「自主トレはきついけどレギュラーにはしてやる」

 そうした姿が、佐藤の目にも留まったのだろう。片岡のプロ1年目(2005年)のオフ、佐藤は自身の自主トレに、彼の帯同を認めた。

 佐藤は自主トレ参加を前に片岡にこう話したという。

「自主トレはハッキリ言ってきつい。きついけどレギュラーにはしてやる」

 練習は連日10時間ぶっ通しで行われた。メニューは走ること、打つこと、守ることの全てで、キャンプイン初日ですぐ実戦に移行できるように、休む間もなく続けられた。

 片岡が弱音を吐いたり、少しでも甘い姿勢を見せると佐藤の厳しい言葉が飛んできた。

「邪魔なときは帰そうともしましたし、やる気があるのならついてこいって感じですよね」

ベテランの選手と違って若手は最初からやらないと。

 そこには「(自主トレは)きついけどもレギュラーにしてやる」とまで言い切った佐藤なりの責任もあった。

「結局、キャンプでアピールできなかったら監督にもアピールできないですし、キャンプで余裕を持ってやるしかないって考え方ですよね。さらにレギュラーになるためには最低、開幕一軍の切符をつかんでいないと話にならない。だからキャンプは余力を残してやらなきゃいけないし、ベテランの選手と違って若手は最初からやらなきゃいけない。

 それは僕が現役を辞めるときまでずっと続けましたし、2月1日のキャンプインのときには試合ができるようにと、常に思って(キャンプに)入っていました。片岡にも同じようにさせていましたよ」

 その努力が実を結び、片岡はプロ2年目(2006年)の飛躍に繋げる。

 球界のスピードスターとして、のちの選手たちにも強い影響を与えた片岡治大の原点はここから生まれた。

【次ページ】 「人見知りのあいつがこれだけ信じてくれた」

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