球体とリズムBACK NUMBER
クライファート愛弟子に横浜で直撃。
マルティノス、Jリーグってどう?
text by
井川洋一Yoichi Igawa
photograph byJ.LEAGUE PHOTOS
posted2017/09/16 07:00
身体能力を生かしたプレーを見せると同時に、キュートな表情も浮かべる。キュラソー出身というバックボーンを感じさせるマルティノスの陽気さは魅力的だ。
クライファートって、実はこんな人。
──オランダではアンダー世代の代表に選ばれていたけど、A代表は出生地のキュラソーを選択した。これについても聞かせてほしい。
「北部の地元クラブからヘーレンフェーンへ移って、そこで自分でも実感できるほど大きく成長できた。そしてU-16から代表に呼ばれるようになるんだけど、チームメイトはほとんどがアヤックスやPSV、フェイエノールトの選手。刺激的な日々だったよ。実は16歳だった当時、リバプールにも誘われたんだ。でも早くから国外に出ることにはリスクもあるし、僕は試合に出ることが大切だと考えていたから、それは断った。つまり、10代後半の頃は欧州でもそれなりに知られた存在だったんだ。でも18歳の時にひざに重傷を負ってしまって。厄介にも軟骨を損傷し、完治まで約2年もかかってしまったんだ」
──気の遠くなるような時間だ。
「精神的にも辛かったよ。2年間のブランクによって代表にも呼ばれなくなり、ルーマニアへの移籍は都落ちと捉えられた。そしてオランダ代表にはもう縁がないだろうと思い始めた頃、キュラソーから誘われたんだ。最初は迷ったけど、何度も熱心に説得してくれたから、引き受けることにした。今では代表の試合が楽しみで仕方がないけどね(笑)」
──キュラソー代表は一時期、あのパトリック・クライファートが指揮を執っていた。彼の指導はどうだった?
「多くのことを学んだよ。特に僕のようなアタッカーはね。時々、練習にも混じってくれたけど、あのクオリティーには驚いたよ。美しい立ち姿も健在だったし、指導にも説得力があった。それから、彼自身がキュラソーにルーツを持つこともあって、僕らの文化を尊重してくれた。
ある時、試合前日に選手たちが談笑していると、あるオランダ人コーチが『冗談をやめて、集中しなさい』と言ったことがあったけど、クライファートは『いいじゃないか。好きにさせよう』と理解してくれた。カリビアンは大音量で音楽を聴き、歌い、踊り、ジョークを飛ばしあってよく笑う。移動のバスはいつもお祭り騒ぎさ(笑)」