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「なんでオレが3位なの?」セナ、プロスト、マンセルが消え…鈴木亜久里が明かす“F1日本人初表彰台の舞台裏” 「とにかく我慢して何か起きるまで」
posted2025/06/25 17:02

1990年日本GPでF1日本人初の表彰台にのぼった鈴木亜久里が、当時のレースの舞台裏を明かした
text by

小堀隆司Takashi Kohori
photograph by
Yuki Suenaga / Hiroshi Kaneko
発売中のNumber1122号に掲載の〈日本人ドライバー表彰台の記憶[1990.10.21 日本GP]鈴木亜久里「泣いてないよ、オレ」〉より内容を一部抜粋してお届けします。
「マシンの性能差は明らかだった」
あの日、鈴木亜久里が抜いたマシンは、ただの1台きりだった。
レースがスタートして6周目、前を行くロータスのデレック・ワーウィックを渾身の技術でかわす。白線をまたぐように車体を大きく外側に振り、第1コーナーで鋭くインを差したこのシーンは、1990年日本グランプリのハイライトの一つだ。
「当日のセッティングがうまくいって、車がすごく乗りやすかったね。ワーウィックは明らかに遅かったから、ムリしていった感じでもなかった。あれで6位に上がったわけだけど、まだ序盤でしょ。順位はまったく気にしてなかったね」
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この年、亜久里はF1にフル参戦して2年目のシーズンだった。ザクスピードで戦った1年目は全戦予備予選落ちという辛酸を嘗めたが、ラルースに移籍した2年目は第8戦のイギリスGPと第14戦のスペインGPで共に6位に入賞していた。ただし、2強と呼ばれたマクラーレンやフェラーリ、それに次ぐウィリアムズやベネトン勢の速さは別格で、自国開催のGPを前に「できれば入賞したい」と語っていた亜久里だったが、それがどれほど難しいことであるかは本人が一番よくわかっていた。
「もうマシンの性能差は明らかでしたよ。だってうちはローラってところが作っている既製品で、エンジンも借り物。レースの戦略とかもなかった。行き当たりばったりで、当日のセットがどこまで当たるかってノリですよ。とにかく我慢して、何か起きるまで一生懸命乗るだけでした」
突如訪れた好機
その何かが起きたのは、スタート直後のことだった。チャンピオン争いを繰り広げるアイルトン・セナとアラン・プロストが、あろうことか第1コーナーで接触。互いの執念がもつれ、意地が絡み合うようにして、2台のマシンが白煙を上げながらサンドトラップに消えていったのだ。
9番グリッドからスタートした亜久里は、そのシーンを視界にとらえていたという。