“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER

屋久島出身初のJ1・J2選手になる!
神村学園・高橋大悟が駆け抜けた夏。 

text by

安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

PROFILE

photograph byTakahito Ando

posted2017/08/08 07:00

屋久島出身初のJ1・J2選手になる!神村学園・高橋大悟が駆け抜けた夏。<Number Web> photograph by Takahito Ando

14番を身にまとい躍動した高橋。屋久島が生んだサッカープレーヤーとして名を刻む戦いはこれからも続く。

浜からボールを遠くに蹴って泳いで獲りに行ったり。

 だが、サッカーをやる上でハンデもあった。屋久島には4つのサッカー少年団があるが、県大会に出場するのがやっとのレベル。しかもグラウンドの数も限られ、サッカーをする環境は決して良いとは言えなかった。

 しかし彼は自らの技術を磨くために、遊びの中で様々な工夫を凝らしてきた。

「小さい頃からボールに触っているのが好きで、家ではおもちゃで遊んだ後に、片付けないままにして、その散らばっているおもちゃを敵と見立ててドリブルをしていました。あと、近所に木が沢山ある公園があって、その木を敵と見立ててドリブルしたり(笑)。あと、夏は海に行って、浜からボールを遠くに蹴って、泳いで獲りに行くとか、いろいろやりました。自然だらけなんで(笑)」

 自然環境を活かしたトレーニングは、屋久島で育ったサッカー小僧をハイレベルな技術を持つフットボーラーに変貌させた。小4で県選抜に入って以降実力をつけ、県内でその名を轟かす存在となった。

 そして小6の段階で、九州の強豪中学からオファーを受けたのだ。

中学で入学した神村学園でも中心選手としてプレー。

 この時点で彼は島を出るか、残るかの葛藤を抱えることになった。

「その時は屋久島をあまり出たいと思っていなかったのですが、やっぱりサッカーでもっと上に行きたいという気持ちもあった。県外か鹿児島、島に残るという3つの選択肢がある中で、当時、僕は県ナンバー2の選手と言われていたんです。ナンバーワンと言われていた選手が神村学園に行くと聞いたので、僕も1番になるために同じチームに行こうと思ったんです」

 屋久島を飛び出した高橋は、神村学園中等部で着実に力をつけ、中2の全国中学サッカー大会でベスト4、中3では高円宮杯全日本ユース(U-15)に出場するなど、中心選手として結果を残し、鳴り物入りで高等部に進学。1年から不動のレギュラーを掴み、その卓越した技術を見せ、ゴールを量産していた。

【次ページ】 高橋らに立ちはだかる、鹿実と鹿児島城西という壁。

BACK 1 2 3 4 5 NEXT
#神村学園高校
#高橋大悟

Jリーグの前後の記事

ページトップ