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平凡な選手が指導者になった時……。
西武・星孝典が目指す“コーチの星”。
posted2017/05/16 07:00
text by
市川忍Shinobu Ichikawa
photograph by
Sankei Shimbun
2016年11月23日、西武ライオンズのファン感謝デーでの背番号25が、星孝典の現役最後のユニホーム姿となった。
イベントの最後、来場者をハイタッチで見送る際には、一人ひとりに視線を合わせて丁寧に頭を下げていた。途中、ファンから手渡されたプレゼントが左手いっぱいになっても、絶対に足元にはおかず、最後まで大切そうに片手で抱えていた。
すべての来場者を見送ったあと、FA宣言でチームを去る岸孝之を待つために集まっていた報道陣の間を通り過ぎるときに、星は「うちの若い選手をこれからもよろしくお願いします」と一礼して去った。
礼儀正しく、誠実な性格。
誰に対してもその態度が変わることはなかった。決して華々しい記録を残したわけではなかった星が、多くのライオンズファンから愛された理由のひとつだった。
「育成コーチ」とは一体どういう役割なのか。
星は2005年、ドラフト6巡目で巨人に入団した。巨人に入ることが決まった星は「巨人の星といえば、ちゃぶ台だ」と、入寮の際にちゃぶ台を持参し、人気漫画の有名なシーンを真似て、ちゃぶ台をひっくり返すパフォーマンスで新聞紙面を飾った。
巨人に在籍した6年間で、一軍試合出場はわずか18試合。なかなか花開かなかった。そして2011年5月、金銭トレードで西武へと移籍する。
西武では正捕手、炭谷銀仁朗と併用されるシーズンもあり、2011年と2013年には自身最多の40試合に出場する。現役生活の終盤は二軍暮らしが続いたが、バッテリーを組んだ若いピッチャーを献身的にリードし、教育係の役割も果たした。
そして2016年、生涯成績138試合出場で現役生活にピリオドを打った。
その星が今年から「育成コーチ」としてライオンズの二軍で奮闘している。育成コーチとはどのような役割なのか、どんな毎日を送っているのか、それを知りたくて西武第二球場へ足を運んだ。