ぶら野球BACK NUMBER
三冠王、監督、GM時代の落合博満。
知られざる「オレ流の素顔」を読む。
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byShigeki Yamamoto
posted2017/05/14 08:00
GM時代、12球団合同トライアウトの視察に来ていた時の落合。今季の不振で、氏の中日復帰を望む声もある。
槙原は「変わった人」と「オレ流の涙」を記憶する。
これだけ読むと変わり者の気難しいおっちゃんという感じがするが、試合となるとさすがの気遣いを見せる頼れる百戦錬磨のベテラン。
ピンチになると一塁からマウンドにやって来て、「お前さぁ~、あんないい球投げるんだから、ビビるんじゃないよぉ」と投手を励まし、試合後は「マキぃ、今日のお前の球は、俺でも打てねぇや」と褒めながら笑ってみせる。
そして、伝説の10.8決戦に勝利した直後は、孤高のオレ流がチームメイトと肩を抱き合いながら泣くのだ。
あの一人鍋をして、休日はひたすらマンガを読んでいた落合さんが泣いている――。
人は無愛想やクールと言うけれど、槙原は「でもやっぱり、変わった人だよなあ」とあの日のオレ流の涙とともに思い出すという。
日本ハム・落合博満を、どれくらい覚えていますか?
【『元・巨人 ジャイアンツを去るということ』(矢崎良一著/廣済堂文庫/2003年4月)】
ところで日本ハム時代の落合博満を覚えているだろうか?
清原和博の巨人FA移籍に伴い、「長嶋監督が悩む顔は見たくない」の名台詞とともに11年ぶりのパ・リーグ復帰。日ハム在籍期間は'97年と'98年のわずか2年。移籍直後のキャンプでキャッチボール相手を務めたのがルーキー時代の小笠原道大というのは有名な話だ。
2年間でわずか5本塁打。
自著では当時の上田監督の起用法に疑問を投げかけ野球観の違いに度々触れているように、決して恵まれた晩年ではなかった。
だが、'97年にはファン投票で自身最後となるオールスターにも選出。神宮球場で行われた第2戦には、全パ仰木監督の計らいで、1番バッターとして打席に立った。
始球式を務めるのは当時17歳の広末涼子である。