酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
小林誠司が迫る史上最低打率の偉業。
規定打席達成で1割台なら35年ぶり。
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2017/04/26 17:00
WBCではラッキーボーイとして大活躍した小林だが、ペナントレースでは全くの別人に。何としてでも打撃復調のきっかけをつかみたい。
衣笠、山崎、井口、そして筒香も最下位を経験。
<逆打撃王の通算回数ランキング>
5回 谷繁元信(3年連続含む)
3回 山田潔、小池兼司(2年連続含む)
2回 宮崎剛(2年連続)、中田昌宏(2年連続)、矢ノ浦国満(2年連続)、島谷金二(2年連続)、弓岡敬二郎(2年連続)、佐々木誠、土橋勝征(2年連続)、山倉和博(2年連続)、山崎武司、小谷野栄一(2年連続)、マクレーン、伊東勤、衣笠祥雄、井口忠仁(現・資仁、2年連続)、炭谷銀仁朗
こうしてみると、衣笠祥雄、山崎武司、小谷野栄一など打撃タイトルを取ったそうそうたる強打者も「逆打撃王」を取っていることがわかる。
未熟な若手時代に、経験を積ませるために力不足を承知で抜擢して「逆打撃王」になってしまったパターン、いわば授業料と言うケースと、力が衰えているのにレギュラーを外すことができず、最下位に沈んだパターンのいずれかだ。
そういえば2012年には今を時めく筒香嘉智も「逆打撃王」になっている。これは授業料のパターン。
野村克也には兼任監督時代、座布団1枚もののヤジが。
NPB史上、「打撃王」と「逆打撃王」を両方取った選手が3人いる。
野村克也、佐々木誠、阿部慎之助だ。
野村は三冠王に輝いた1965年に.320(488打数156安打)でキャリア唯一の首位打者に輝いている。そして12年後の1977年、打率.213(447打数95安打)で最下位(30位)になったのだ。
いずれも南海時代のことだが、'77年の南海ホークスの監督は野村克也その人。プレイングマネージャーの特権で、からきし打てない自分自身をスタメンで起用し続けたことに批判が集中した。
大阪球場の一塁側から「監督~! お前のチームの弱点、教えたろかー、キャッチャーや!」と言う座布団1枚もののヤジが飛んだのもこの年だったと記憶する。
野村はこのオフ、プライベートの問題もあって、南海ホークスを退団するのだ。