プロ野球PRESSBACK NUMBER
最初の5年は天国、後の5年は地獄。
浅尾拓也、肉体改造から復活を期す!
text by
伊藤哲也Tetsuya Ito
photograph byKyodo News
posted2017/03/02 07:00
中日の北谷キャンプで、DeNAとの二軍の練習試合に登板した浅尾。1回を無失点に抑え、球速で140kmまで記録した。
優勝、受賞も多数、年俸2億6000万円、人気絶頂に。
さらに、その名を轟かせたのは2011年シーズンだ。
79試合登板し、7勝2敗10セーブ45ホールド、防御率0.41と抜群の成績を収め、リーグ連覇に貢献するとともにMVPも獲得した。さらにシーズンを通じて先発登板が1度もない投手としては両リーグ初となるゴールデン・グラブ賞も受賞。甘いマスクからも絶大な人気を誇り、年俸は2億6000万円になっていた。
そんな球団の顔として君臨してからも、浅尾の穏やかな人柄は変わることはなかった。
チームメートからも慕われ、取材への対応も丁寧そのもの。一流選手となれば、いい意味でも悪い意味でも自己中心的となり、一癖も二癖も出るのが常識だが、浅尾に限ればこの言葉はまったく当てはまらない。裏返せば、わがままではないがゆえにマイナス要素も出る。
先輩はもちろん、周囲から酒席に誘われれば断らない性格。時として付き合いの良さが常軌を逸した行動を招き、心配する声が出ていたのは確かだ。
浅尾がふとしたときに漏らした言葉である。
「ボクは太く短くでも、いいと思ってます」
「太く短く」を超える、何かをつかめるか?
今季はプロ11年目。
絶頂の2011年まで5年が「明」だとすれば、'11年以降の5年は「暗」。
登板数は'15年の36試合が最多で、それでも'11年の半分にも満たない。給料は最盛期の3分の1以下の7350万まで下がった。
ただ、今は必死に「太く短く」にあらがう姿勢が見える。
プロ入り後から常に不安を抱える右肩痛を解消すべく、オフには中日・三瀬幸司スカウトを通じて元ソフトバンクの守護神で、右肩故障を克服した経験を持つ馬原孝浩氏に弟子入り。まずは血液を採取して米国の分析機関へ送り、約90種類のアレルギー反応を徹底的に検査してもらった。その中から普段の食事で控えたほうがいい素材や不足する栄養素を選び抜き、徹底的な体内改造に着手した。
さらにストレッチだけでも2時間をかけ、「いかに自分の知識が浅かったか。知るだけでも全然違う。賢くならないと……」と少しずつ手応えを感じつつある。