猛牛のささやきBACK NUMBER
「鈴木一朗」も過ごした寮の移転。
オリックスと神戸、1・17からの未来。
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byNoriko Yonemushi
posted2017/01/20 07:00
1・17から22年。当時を知る福良監督と田口二軍監督、そして選手たちは決意を新たにした。
「隣のパン屋からいいにおいが漂ってきて……」
自主トレ期間のこの1月、新人や寮に住む若手だけでなく、寮を出た選手たちも連日、練習に訪れている。移転について「それほど感慨はない」という選手もいれば、「寂しいですよ」と漏らす選手もいる。
安達了一は「寂しい気持ちはやっぱりあります。ここが好きだし、神戸も好きなので」としみじみと語った。
ここでの思い出は? と聞くと、「室内練習場で練習していたら、隣のパン屋からいいにおいが漂ってきて、お腹がすく(笑)。それが思い出です」とのどかな記憶を話してくれた。
5年目の武田健吾も「寂しいですね。高校を卒業してからずっとここにいたので。思い出は、たくさん練習したこと。一軍に上がって、でも打てなくて、悔しくて、ナイターから帰ってきたあと、室内練習場でずっと打っていました」と振り返る。4年目の吉田雄人は「出ていくときは部屋をキレイに片付けて、心の中でお礼を言って、出ようと思います」と話した。
阪神・淡路大震災から22年。当時を知る指揮官たち。
阪神・淡路大震災から22年が経った1月17日には、ほっともっとフィールド神戸で監督や選手、スタッフ80人が震災の犠牲者を悼み、黙祷をささげた。
震災のあった1995年当時、オリックスの主力選手だった福良監督は、「何年経っても忘れられない。忘れてはダメ。風化させてはいけない」と話した。来年以降の黙祷については未定だが、「やれるなら、ここでやるべきだと思います」と私見を語った。
当時、入団4年目の選手だった田口二軍監督は、「あの年は、葛藤だらけでした」と今でも辛そうに回想する。