“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
元日本代表GKの父と週1で特訓――。
ヴィッセル内定・前川黛也の強み。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2016/12/22 11:00
前川黛也のサイズの大きさ、そして表情。かつて広島の守護神を務めた父の姿が想起される。
「息子には『気長に考えた方がいい』と言いました」
「黛也はずっと“プロになりたい”と言っていた。じゃあ、そう考えているんだったら、焦ってはいけない。彼には“気長に考えた方が良い”と言いました。もし高校3年間でプロになれなくても、大学の4年間でさらにしっかりと積み上げて、そこからプロへの扉を開けば良いんです。“怪我などで落ち込むよりは、それをしっかり治して、次からはどういう形で自分が成長をして行くための土台を作り上げて行けるか。焦らずに、地道に積み上げて行く作業をきっちりとやった方が良い”と言い続けました」
この言葉に黛也も「僕はもう謙虚にやるしかなかったし、そういう考え方もあるんだと思った。少し楽になれました」と、父の言葉を受け入れ、必死で土台を積み重ねた。高3の終わりにようやくレギュラーを掴んだが、最後の高校選手権は県予選で敗れ、全国大会に出場出来なかった。
“前川和也の息子”でありながら、ほぼ3年間レギュラーを獲りきれなかった。この現実に「“前川和也の息子、全然試合に出れていないな”と言われましたけど、もうそういうのは受け入れる覚悟は出来ていたし、とにかく自分の将来に向けて精一杯でした」と、父親の言葉を胸に、気持ちがぶれることはなかった。
関西大で試合に出場し始め、自信も急激についた。
高校卒業時に唯一誘いをくれた関西大学に進んでからも、着実に将来を見据えて積み重ねを怠らなかった。
「大学に入って最初に掲げた目標は試合に出ること。そこから全日本大学選抜に入り、プロになることを大学での最終目標にしました。1年の時はJユース上がりのGKが沢山いて、能力的にも上だった。でも下手なりに先輩達から学んで、1年のときはベンチ入りも出来なかったのですが、凄くいろんなことを吸収出来た。2年生から試合に出られるようになって、自信が積み重なっていきました」
大学に入るとようやく身体の成長も止まり、心と身体、感覚のバランスが噛み合って来たことで、彼の成長速度は急速に早まった。