リオ五輪PRESSBACK NUMBER
ボルトの“一瞬の睨み”に「やべっ」。
ケンブリッジ、12年越しの夢とその先。
posted2016/08/30 17:30
text by
及川彩子Ayako Oikawa
photograph by
JMPA
「きた、きた、キターーーーって思いました」
ボルトと並走した時のことをケンブリッジ飛鳥(ドーム)は目をキラキラさせながら、こう表現する。
ケンブリッジにとってウサイン・ボルトは特別な人だ。
ボルトが圧倒的な走りで北京五輪の100mを制した時は中学3年生だった。
「あのレースは本当に凄かったです」
中学の陸上部で走っていた少年は「ボルト選手みたいになりたい」と考え、成長するにつれ「いつか一緒に走ってみたい」と夢を見た。
ボルトと走ってみたい、その思いからジャマイカを訪れたのは2014年2月のことだ。知り合いのつてでジャマイカのレイサーズ・トラッククラブの練習に参加したが、残念ながらボルトは不在。しかしボルトの練習場所で、同じ風景をなぞりながら走ったことは大きな刺激になった。会えなかったことは残念だったが、いつか世界の舞台で一緒に走りたいという気持ちがますます強くなった。
軽度とはいえ、ボルトと同じ脊柱側弯症を抱えて。
昨年行われた北京世界陸上も代表入りを狙っていたが、6月の日本選手権では100m4位。標準記録に及ばなかったこと、5月にバハマで行われた世界リレーの代表を辞退した関係もあり、リレーメンバーからも外された。その後は怪我に苦しみ、9月の全日本学生選手権では両足太ももにテーピング姿の満身創痍でレースに臨み、100mは10秒78の最下位に沈んでいる。同じく怪我で北京世界陸上を逃した桐生が10秒19と好タイムを出してメディアのスポットライトを浴びる中、ケンブリッジは「もう怪我に疲れました」と涙を浮かべながら声を絞り出した。
才能があると期待されながら怪我が多かった。ダイナミックな走りに体がついていかなかった点、また軽度ではあるが脊柱側弯症であることも多少影響していたかもしれない。ボルトが脊柱側弯症のために怪我が多いことはよく知られているが、「ボルト選手よりも軽いですけど。僕もです」と認める。
しかしリオ五輪に出たいという一心で、昨オフは肉体改造に着手した。「これまでにない走り込みをした」と言うように、走練習ではこれまでにない質量を行ったほか、ウェイト練習や体幹運動に徹底的に取り組んだ。「あの練習をまたやるのかと思うと気が重いです」と話すが、心身ともに追い込んだ結果が今季の飛躍に繋がった。