畠山健介のHatake's roomBACK NUMBER
フミさん、トシさんと訪れた被災地。
畠山健介が考える「行動できる人間」。
posted2016/07/11 11:30
text by
畠山健介Kensuke Hatakeyama
photograph by
Kensuke Hatakeyama
2016年4月14日、九州地方の熊本県、大分県で地震が発生。2日後の4月16日の地震のほうが規模が大きいらしく、本震とされているようだ。14日の地震は前震となっている。
6月1日、僕はフミさん(田中史朗)とトシさん(廣瀬俊朗)と熊本県益城町、益城中央小学校を訪問した。
キッカケはフミさんだった。熊本・大分地震があった時、フミさんはスーパーラグビーのシーズン中でニュージーランドのオタゴにいた。
「自分に何か出来ないか?」と多くの人は考える。実際、僕もそうだ。しかし、考えながらも行動に移すのは難しかったりする。フミさんは「自分に何か出来ないか?」というところから、実際に行動出来る人間だ。
フミさんはまず、普段から仲が良く、同じスーパーラグビーのシーズン中のためオーストラリアにいたマツ(松島幸太朗)と連絡を取り合い、連名で義援金サイトを立ち上げた。僕はSNSで義捐金の呼びかけなどで協力した。
そして、フミさんとマツが6月の代表遠征のために帰国するタイミングで、熊本に行こうとなった。トシさんも熊本に行く予定があるということを知り、4人で一緒に行くこととした。
僕は気仙沼出身、5年前には実家が流された。
僕は宮城県気仙沼市出身。5年前の東日本大震災で実家が被災した。両親や家族は無事だった。しかし両親と姉が住んでいた実家は流されてしまった。地震や津波自体には耐えられたようだが、津波で流れてきた他の家屋の衝撃に耐えられず、津波の勢いも相まって流されてしまった。僕の家だけでなく、生まれ故郷の気仙沼の町や東北地方太平洋沿岸部は、とても深刻で大きな被害を受けた。
今回の熊本・大分地震は直下型、縦揺れの地震で5年前の津波の被害とは違う、多くの被害をもたらした。僕らが行った熊本県益城町は、特に大きな被害を受けた場所だった。
僕はトシさんと一緒に飛行機に乗り、熊本入りした。熊本空港からそのまま益城中央小学校に向かう。小学校に着くまでの道のり、そこには地震がもたらした多くの「被害」そのものがあった。