ニッポン野球音頭BACK NUMBER
神主にならなかったDeNA新人投手。
熊原健人のアンバランスな魅力。
text by
日比野恭三Kyozo Hibino
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2016/06/13 17:00
熊原健人の背番号は1。かつては金城龍彦がつけていた番号だが、投手としては大洋時代の岩本信一以来66年ぶり。
ひたむきな姿勢で、憎まれる要素が見当たらない。
6月4日、3回5失点で降板した今永をリリーフしたロッテ戦では、プロ初打席を経験。だが送りバントは失敗に終わった。
「朝、球場に向かう時、(リリーフで起用されている)自分が打席に立つっていうのはそこまで頭に入れてなくて。よくよく考えたら打席に立つこともあるんですよね……。しっかりバント練習をやらなきゃいけないなと。まだやることはたくさんあるなと思いました」
とぼけたようにも聞こえる言葉を、本人は真顔で語る。野球に向き合う姿勢もひたむきだから、憎まれる要素が見当たらない。
過去の自分を評して「ひどい」を連発。
熊原には開幕前に一度、プロ入りに至る過程を尋ねたことがある。短いインタビューの中でルーキーは、過去の自分を評して「ひどい」という言葉を5回も連発した。
「自分の中学時代を知る人誰もが、(プロ入りすると聞いて)ウソだろ、あいつが? みたいな、そういう言葉を言うぐらい。そうですね、下手くそと言いますか、ひどかったです」
「(高校の時は)コントロールがひどかったので。真っ直ぐ中心で、ストライクが入るか入らないか、そういうレベルでした。フォームがものすごくひどくて。全然理にかなってない。ひどい、ほんとにひどい投げ方でした」
宮城県に生まれた熊原は、県立柴田高校を卒業した時点では、自ら酷評するとおり、箸にも棒にも掛からぬ野球選手だった。しかし、3年の夏に甲子園出場を逃して真っ白な進路と向き合った時、「プロになりたい」そうはっきりと思ったのだという。
「中日の浅尾(拓也)さんを見て、自分もこんなふうになりたいなあって。特に、抑えて(ベンチに)帰ってくるところがカッコよかった。家族には就職するか、神職養成所に行くか迫られましたが、『絶対プロに行くから大学に入れてくれ』って毎日のようにしつこく言いました」