“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
秋田、岩政の系譜は昌子源にアリ!
鹿島がG大阪に完封勝利の舞台裏。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byYohei Osada/AFLO SPORT
posted2016/02/29 12:20
鹿島同期の柴崎、梅鉢、土居らと同じ'92年生まれ。この日対戦したG大阪の宇佐美も同年生まれ。
「僕の成長がチームの鍵を握っていると思っています」
72分に交代出場のFW鈴木優磨のゴールで鹿島がリードを奪うと、その集中力はより研ぎ澄まされ、宇佐美を投入して攻撃のギアを上げようとするG大阪に飲まれることなく、最後まで弾き返し続けた。
かつてのチームメイトを相手に1-0の完封勝利。この試合で彼が示した存在感は、決意の強烈な表れだった。
「僕の成長がチームの鍵を握っていると常に思っています。僕がDFラインをまとめていかないと、『常勝・鹿島』は復活しない。それくらいの気持ちでやっています」
名門・鹿島の守備の要としての強烈な自覚。これまで鹿島の最終ラインといえば、秋田豊、岩政大樹(現・ファジアーノ岡山)といった日本代表の選手が担ってきた重責。その重責を担うことの意義を彼はよく理解している。
「秋田さんから『お前がどんどん声を出して引っ張って行かなきゃいけない』と言われ、僕の中の『90分間ずっと声を出し続けられるのは自分しかいない』という自負がより強くなった。鹿島の守備を背負うということは、生半可な気持ちではいけないし、ましてや『自分だけが良い』訳ではない。時には自らを犠牲にしながら、どんな形でも周りを牽引していく。そういう役回りの方が自分には合っている」
「地味」ながらこつこつと地位を積み上げた。
彼と秋田、岩政には共通点がある。それは中学時代や高校時代からスター選手だったわけではなく、どちらかと言うと「地味」な選手だったということ。献身的な泥臭いプレーで、一つずつ地位を積み上げてきた。
2011年に鹿島に入団したときも、同期には柴崎岳、土居聖真というスターがおり、昌子は「岳が凄すぎたし、自分は隠れてしまっているなと思った。『お前誰だ?』という存在だった」。
だが、彼はコツコツと土台を積み上げていき、その上に自覚と責任感を築いていった。やがて「隠れていた存在」は、気がつくとDFの頼もしいリーダーに成長していた。
再びG大阪戦の話に戻る。
「サポーターの声援でコーチングの声がかき消される中でも、味方から『分かったからもういいよ』と言われても、どんなことがあっても声を出して、情報共有や流れの把握を促す。今日はそれができたし、開幕戦でG大阪に完封勝利できたことは本当に大きい」
試合後に見せた会心の笑顔。自らの成長を結果で示した彼は、今が伸び盛りだ。