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馬原孝浩、最後の最後まで真面目に。
やるべきことを全てやった果てに。 

text by

田尻耕太郎

田尻耕太郎Kotaro Tajiri

PROFILE

photograph byTamon Matsuzono

posted2015/12/16 10:50

馬原孝浩、最後の最後まで真面目に。やるべきことを全てやった果てに。<Number Web> photograph by Tamon Matsuzono

ソフトバンク時代、最後の大舞台となった2011年の日本シリーズにて。チームは日本一になったが、馬原は初戦から2試合連続で負け投手となった。

誰よりも実直に取り組み続けた、試合のための準備。

 '15年シーズンはわずか9試合登板で防御率7点台。5月2日に出場選手登録を抹消されると、今度は膝にも故障が出て、一軍復帰を果たせぬままだった。

 それでもバファローズは来季の契約を結ぼうとした。野球協約の減俸制限を超える大幅ダウンではあったが、その気になればユニフォームを着続けることは出来た。一時は海外でプレーすることも検討したという。

 しかし、最高の投球が出来ない自分自身を、馬原は許せなかったのだろう。

 曲がったことは好まず、駆け引きは苦手とされるのも「肥後もっこす」の特徴とされる。マジメに、ただひたすら実直に、野球と向き合ってきた。

「日頃のトレーニングもケアも、僕はやるべきことを全てやっているというプライドがあります」

 ホークス時代にずっと傍で見てきた守護神馬原は、試合に臨む準備という点では、他の誰よりも絶対的な自信を持っていた。

一つの不安も残さずにマウンドに上がるために。

 特に球場外での過ごし方は感心することばかりだった。

 就寝前には必ず1時間以上のストレッチをするのを、中学生の頃からずっと続けていた。

 また、プロ野球選手といえば遠征先ではナイター後でも夜の街に繰り出すのはごく一般的だが、馬原はそれをしなかった。

 ホテルに用意されたトレーニング室に出向き、時計の針がてっぺんを過ぎても、最後1人になっても、深夜遅くまでダンベルと向き合うことは珍しくなかった。それから部屋に戻り、またストレッチを行なうのだ。

「周りからは『よくやるな』とか『ストイックだ』と言われますが、僕自身はまったく思わない。だって、ずっと続けていることだから。僕には当たり前のことなんですよ。それに、先発の人たちはきっちり調整をしてマウンドに上がり、その最後のマウンドを任される。いい加減な過ごし方をして登板したら申し訳ないじゃないですか」

 一つの不安も残さずにマウンドに上がる。そしてマジメ気質そのままに、打者とは真っ向勝負。力でねじ伏せる。ファンはそれを熱く支持した。

【次ページ】 「だって僕はポジティブな人間ですから」

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