リーガ・エスパニョーラ最前線BACK NUMBER
ペップ、エンリケの大のお気に入り。
バルサでセルジ・ロベルトが開花。
text by
横井伸幸Nobuyuki Yokoi
photograph byGetty Images
posted2015/11/12 10:30
カタルーニャ出身の23歳は、バルセロナのまさに王道を歩いてきた期待の星だ。
グアルディオラ「レウスのやつは大事にしなよ」
バルサに来て3年目となる'09年の夏にはグアルディオラに目を付けられ、トップチームのプレシーズンに参加した。
グアルディオラは彼の代理人(自身やブスケッツの代理人でもある)に対し、「あのレウスのやつは大事にしなよ。君のクライアントの中で最高だ」と助言したという。
その後、開幕はユースチームで迎えたが、第4節には当時2部昇格を目指していたルイス・エンリケのバルサBに呼ばれ、U-17代表では世界王者にもなった。
翌'10-'11シーズンも順風満帆で、2部に上がったバルサBのクラブ史上最高位(3位)にレギュラーとして貢献しただけでなく、国王杯セウタ戦でトップチームデビューをも果たした。僅かな時間とはいえ、ベルナベウでのCL準決勝マドリー戦にも出場している。
そして、続く2シーズンをエウセビオ(レアル・ソシエダ新監督)率いるBチームの背番号10として過ごした後、'13年夏、契約に従って正式にトップチームの一員となった。
ところが、ここからが茨の道だった。
トップでの出場機会が得られず、移籍も考えた。
同年監督に就任したヘラルド・マルティーノはセルジ・ロベルトを高く買い、「近い将来、クラブの顔となる選手」と評していた。それなのにリーガで与えた出場機会はたったの265分。結果を出すことに追われ、若手を伸ばす余裕がなかったマルティーノは、「わたしは行動で示している以上に彼のことを評価している」と言い訳した。
そこにルイス・エンリケの監督就任という追い風が吹いてきた。
カンテラ時代のルームメイトであるムニエサ(現ストーク・シティ)によると、Bチーム時代、セルジ・ロベルトは「ルイス・エンリケのお気に入りだった。まるで息子のようだった」そうだ。
しかし状況は変わらない。リーガのプレイ時間は506分に増えたが、監督判断による非召集(ベンチ外)は9試合から12試合に増えた。国王杯は6試合540分出場が4試合297分に減り、CLは4試合114分が2試合113分に。
失望のシーズンを終えたセルジ・ロベルトは移籍を考えた。新天地候補は幾らもある。トッテナム、ストーク・シティ、バレンシア、セビージャなどから好条件のオファーをもらっている。