球道雑記BACK NUMBER
驚異的な順応性と伸びしろを持つ右腕。
ドラフト期待のNTT東日本・横山弘樹。
text by
永田遼太郎Ryotaro Nagata
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2015/10/21 10:50
昨年の都市対抗野球では新人賞に当たる若獅子賞を受賞。まだ大きな伸びしろを秘めている。
運命を変えたチェンジアップ。
練習会の最終日、安田は横山にシート打撃の投手をやってみないかと声をかける。不退転の気持ちでこの練習会に参加していた横山は、ここで安田の想像を超えるボールを披露し、これが横山の運命を変えた。
「本人が受かりたいと思ったのか分かりませんけど、大袈裟に縦振りのフォームになっていたんですよね。それでチェンジアップを放ってきたんですよ。チェンジアップって横振りだと放れない球で、縦振りでなきゃ放れない。ピッチング練習ではチェンジアップを一球も投げていなかったんですけど、これがまた凄くいいボールだったんですね」
安田は隣でこの様子を見ていた監督の垣野多鶴(現在は退任)に、興奮気味に話した。
「自分、彼のチェンジアップを今、初めて見ました。このチェンジアップはいい。社会人でも使えますよ」と。この日を境に安田と横山の二人三脚の挑戦が始まった。
まわりが投げていても、基礎練習の日々。
桐蔭横浜大学に戻った横山は安田から言い渡されたメニューを、脇目もふらずひたすら守った。周囲にいる同級生や後輩がブルペンでイキの良いボールを投げる中でも、焦らず、自分のペースを守って、ひたすら開花のときを待った。
「(大学3年のとき)みんなは良いボールをバシバシ投げる中で、自分は基礎練習ばかりずっとやっていたので、最初の3カ月はすごく歯がゆかったです。でも今は安田さんにすごく感謝しているというか、自分にとってはあのころが一番大事な時間だったなって思っています。あのときがなかったら今はなかったなと……」
横山は当時についてそう振り返る。
練習会からしばらく時間が経過し、安田は横山の投球を再び見る機会に恵まれた。
「これは獲らなきゃダメだ」
「その後に横浜桐蔭大学とオープン戦が入っていたんですよ。彼が大学3年の3月中旬くらいですかね。そのときまでに自分がやるべきことをやって、色々とあれをやりなさい、これをやりなさいと言いました。テニスラケットを持って縦振りをするとか、メニューをたくさん教えて、動き作りをさせました。ピッチングのあれこれを考えても変わらないので、ピッチング以外の動き作りをして、中長期的に変わって来れば良いんじゃないのかと。
その間、東芝やかずさマジックとオープン戦をやっていたので、かずさマジックの投手コーチや三菱ふそうのキャッチャーに、横山が投げたか確認をしたんです。そうしたら良いボールを放っていたと聞いていたので、順調にやっているんだなって思いました。それでうちとのオープン戦を投げたときに、また少し変わって、ひとつステージが上がっていたんですね。そこで前監督の垣野さんが『これは獲らなきゃダメだ』と言い出して、リーグ戦まで期間あるじゃないですかと私も言ったんですが、これは獲らなきゃいけない素材だからとなって、今になるんですよね」