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「取材に時間をあてすぎた」
競歩・鈴木雄介が抱えた自覚と葛藤。 

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宝田将志

宝田将志Shoji Takarada

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photograph byAFLO

posted2015/08/24 11:30

「取材に時間をあてすぎた」競歩・鈴木雄介が抱えた自覚と葛藤。<Number Web> photograph by AFLO

最後まで行こうと思えば行けた。しかし「本番」のリオのために、表情をゆがめながらも鈴木雄介はリタイアを決断した。その無念はいかほどか。

「来年のリオが本番なんできっぱりやめた方がいいかなと」

「万全とは言い切れる状態ではないけど、順調に体調は整えられている。金メダルを取って、この大会の主役になるという気持ちで臨めば、おのずと結果は付いてくると思う」

 大会前の会見で、自分に言い聞かせるように語り、27歳はスタートラインに立った。

 序盤はライバル・中国の3人の背後にぴたりと付いて進めたが、途中でレースを諦めざるをえなかった。11km付近、鈴木は手で×印を作り、首をわずかにひねって静かにコースの外に消えた。

 そして、そのまま鈴木はミックスゾーンを通り過ぎた。大半の記者は、藤澤勇(ALSOK)、高橋英輝(富士通)の日本勢が残っていることもあって、別の場所でレースの推移を見守っており、話を聞いたのは一部の記者だけだった。本来は、それで十分だった。

 しかし鈴木は、その後報道陣の要望を汲んで再び出てきた。冒頭の“異例の囲み”である。

「6kmすぎから結構痛みがあって、10kmくらいはかなり我慢した状態でした。入賞できるか考えて、ギリギリできるかどうかくらいだろう、と。ここで頑張ってできなくて痛みが増すより、来年のリオが本番なんできっぱりやめた方がいいかなと判断しました」

 落ち着いて説明を続ける。

「胃が痛くなって。状態を整えきれなかった」

 8月初旬から恥骨炎の痛み止めを飲み始めたが、繰り返すうちに、鈴木はレース数日前に胃まで壊していたのだ。

日本人最上位入賞をすればリオ内定だったが……。

 日本陸連は、今大会で日本人最上位で入賞した者を、来年のリオデジャネイロ五輪の代表に内定するとの規定を設けていたが、鈴木は来年の選考レース、そして五輪本番を見据えて決断した。

「まずは休まなければ仕方ない。炎症が抜けるのを待つしかない。骨折のように全治何カ月と分かるものではないので」

 しかし、そもそも恥骨炎の発端は何だったのか。

 世界記録を樹立した後、「3、4月の練習不足にあった」と本人は語る。ストレッチや補強が足らない状態で動きが硬くなり、そのまま練習したことが故障につながったという。

 では、練習が不足した原因は? 重ねられた質問に、こう答えた。

「取材に時間をあてすぎた。競歩をアピールする機会だったので、受けられるだけ受けたいと思っていたんで」

【次ページ】 日本における競歩の立ち位置を変えるために。

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