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29歳で代表初招集のDF丹羽大輝。
4年半のJ2在籍時代に得たものとは。
text by
吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki
photograph byYohei Osada/AFLO SPORT
posted2015/06/16 11:50
日本代表合宿での丹羽大輝。ガンバの下部組織で育ち、U-15からU-20までは、たびたび世代別代表にも呼ばれていた。
ウェアの洗濯、道具の準備も自分でやったJ2時代。
まだ今回のチームが代表候補合宿の段階だったころ、初日に彼に聞いてみた。「J2時代が長かったですよね。当時どんなことを感じていましたか」と。
「ガンバ大阪のありがたさを感じる時間でした。J1にいると、ウェアの洗濯や道具の準備もスタッフがやってくれることが当たり前だった。でもJ2では自分がやらなくちゃならないことも多くて。特に徳島時代には自分でやった記憶が残っています」
'08年のシーズン途中にアビスパ福岡にやってきた時、当時22歳だった丹羽はどん底の状態にあったように見えた。
'07年の最初のレンタル先、徳島ではJ2で出場停止を除いた45試合に出場。意気揚々とふたつめのレンタル先の大宮でJ1での戦いにチャレンジしたが……そこでは出場機会が得られなかった。「J1では通用しない」という烙印を押されたも同然だった。
プレーヤーが「J1からJ2へのレンタル移籍」をきっかけとして、二度とJ1に復帰できなくなってしまうことは多い。
丹羽がそこから這い上がれたのはなぜか。
いかにして自分の特長をピッチ上で出すか?
本人は日本代表キャンプ中にこんな話をしていた。
「J2にいたころは、とにかく、自分の特長をピッチで発揮することを心がけていました。『ラインをコントロールできる選手』としての自分をどうやって発揮するか。その点を考えていましたね」
J1からレンタルで移る選手は、誰しもが「J2で経験を積んで再びキャリアアップする」ということを考える。いっぽう丹羽のこの証言からは、彼が出場機会を得るのみならず、その機会をどう活かすかを常に考えていた、ということが窺える。
そんな丹羽の福岡在籍時を知るチームメイトは、彼の別の側面を証言する。
「もう、愛されキャラで。さすが関西人というボケの素晴らしさもあるんですけど、そもそも天然ボケが入っているんですよ。小さな勘違いが多くて。ツッコミが入っているのに、そこに気づかない。サポーターにも本当にオープンに接していましたね」('10年から共にプレーしたMF末吉隼也)