野球クロスロードBACK NUMBER
報道されないドラフト1位、松本裕樹。
工藤監督、王会長の「焦るなよ」。
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2015/03/03 10:30
キャンプを終え、3月1日に卒業式に参加した松本裕樹投手。会見でも大物ぶりを発揮しており、肝の据わり具合は本物だ。
最後の甲子園、右腕を全力で振ることはできなかった。
盛岡大付時代は、投げては最速150km、打っても通算50本塁打以上と、2012年に高校野球界を席巻した同じ岩手の花巻東・大谷翔平をも超える“二刀流”と騒がれた。
3年夏の県大会準決勝で盛岡三を相手に1安打、10奪三振と圧倒した時などは、この試合に訪れたほとんどのスカウトが「1位でしょ」と太鼓判を押すほどだった。
だが松本らしいパフォーマンスは、高校時代では実質これが最後だった。
松本いわく、この時点ですでに右肘に痛みがあったのだという。
チームを甲子園へと導き、初戦の東海大相模戦で優勝候補相手に多彩な変化球を駆使し3失点完投と、投球の幅の広さを印象づけた。しかし、続く敦賀気比戦では3回途中9失点と打ち込まれ降板。球速は130km前後に留まり、ライトに回った後も内野への中継まで山なりのボールしか投げられないなど、右肘痛の深刻さは誰が見ても明らかだった。
敗戦後、松本は「これが今の僕の姿です」と言わんばかりに涙を流すこともなく、淡々と自身の投球を振り返っていた。
「試合前から全力で腕を振って投げられないことは分かっていました。実際に投げてみないと分からない部分はありましたし、初戦もそうでしたけど、真っ直ぐでいっても打たれるな、とは思ったんで変化球を多く投げました。自分のピッチングができなくて試合を壊してしまったので、チームに申し訳ないです」
甲子園の土は、持ち帰らなかった。
そのことを報道陣から尋ねられた松本は、「特に理由はないですけど、悔しい思いをしたし、いずれは戻ってきたい場所なんで」と、将来的なプロ入りを示唆した。
工藤公康「絶対にプロに行くんだよ」
故障持ちという現実を受け入れているのであれば、大学や社会人に進み、じっくりとリハビリを行なうという選択肢もあったはずだ。しかし松本は、高卒でのプロ入りを決断した。
自分の目標、高校のチームメートや監督などからの勧めはあっただろう。ただ、勝手な憶測を述べるのであれば、後にソフトバンクの指揮官となる工藤公康の言葉も、彼の背中を後押ししてくれたのかもしれない。
「絶対にプロに行くんだよ」