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外野手の地位向上はイチローの影響?
'80年代と現在で全く違う指名順位。
posted2015/01/16 10:30
text by
小関順二Junji Koseki
photograph by
Naoya Sanuki
野原で行なわれていた大昔から20年くらい前まで、下手な野球少年の定位置は“ライパチ”と決まっていた。つまり、ライトで8番。右打者が多かった昔は、少年が高度な流し打ちをするわけもなく、ライトはヒマなポジション。さらに9番は守りに専念する投手か捕手が入ることが多かったので、野球の下手な少年は8番に入ることが多かった。つまり“ライパチ”である。
それが今は様子が異なる。走攻守のバランスが取れた外野手が多くなっているのだ。守ることが免除されたバッティング専業の強打者、これが'80年代までに多く見られた外野手像だが、そういう選手が少なくなった。
昭和30~40年代、外野手はコンバートが多かった。
こういうことを考えるようになったのは昨年のドラフト会議を見て、何となく外野手が多いと思ったからだ。次のような顔ぶれだ。
野間峻祥(中部学院大→広島1位)
浅間大基(横浜高→日本ハム3位)
福田将儀(中央大→楽天3位)
江越大賀(駒沢大→阪神3位)
友永翔太(日本通運→中日3位)
ルシアノ・フェルナンド(白鴎大→楽天4位)
井領雅貴(JX-ENEOS→中日6位)
脇本直人(健大高崎→ロッテ7位)
原泉(第一工業大→ヤクルト7位)
小田裕也(日本生命→オリックス8位)
私が子供だった昭和30~40年代、プロ野球の外野手はコンバート組が多かった。
柴田勲、江藤慎一、葛城隆雄、広瀬叔功、山本八郎、田宮謙次郎、関根潤三……等々、投手、捕手、内野手を経て外野にたどり着いたという選手が少なくない。