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箱根駅伝は“修行”から檜舞台に。
青学のワクワクと、服部勇馬の言葉。 

text by

金哲彦

金哲彦Tetsuhiko Kin

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photograph byHirofumi Kamaya

posted2015/01/11 10:40

箱根駅伝は“修行”から檜舞台に。青学のワクワクと、服部勇馬の言葉。<Number Web> photograph by Hirofumi Kamaya

驚異的なタイムで箱根を駆け抜けた青山学院大。チームは3年生が中心で、一躍来年の本命に躍り出た格好だ。

「ワクワク大作戦」は選手たちのハートを射止めた。

 しかし、時代とともに選手の競技観は明らかに変化している。

 携帯電話やインターネットが当たり前の時代に生まれ育った選手たちは、物心がついた頃からあらゆる情報をもっている。

 トップシークレットだったはずの箱根駅伝直前の区間変更情報でさえ、携帯電話のメールを通じて指導者より早く選手が知る時代なのだ。

 もはや、指導者の経験主義だけで駅伝は勝てない。世代に合わせた柔軟な指導法も結果を生む時代がきたのだ。

 明るい雰囲気だからといってトレーニングが甘くなっているわけではない。新記録の裏側には質と量をともなうトレーニングが必ずある。

 そして、トレーニングと同じくらい大切なことは、指導者がどんな種類の価値観でチームの雰囲気を作り、選手個々のモチベーションを上げているかということ。

「ワクワク大作戦」は、青学の選手たちのハートを見事に射止める結果となった。

 今の選手にとっては子供の頃から憧れてきた箱根駅伝。

 彼らにとっての箱根駅伝は、かつて大学の名誉のために闘った修行道ではなく、アスリートとしての自分を最大限に表現する檜舞台に変わった。

「マラソンのため」こそが原点回帰である。

 ところで、今回の箱根駅伝で一番グッときた言葉がある。

 それは、敗れた東洋大学の2区を走った服部勇馬がさらりと語ったレース直後の言葉だ。

 NHKラジオで解説をしていた私は、生放送を通じて区間賞をとった選手たちと直接やりとりができた。

 各校のエース達が集まる花の2区。

 最後の難所、戸塚中継所まで3キロ続く上り坂を、誰よりも粘り強く走って区間賞をとったのは、村山謙太(駒澤大)ではなく服部だった。

金「服部さん、苦しさに耐え区間賞をとれた原動力はなんだったのですか?」

服部「夏からマラソン練習をして、2月の東京マラソンを目指しています。箱根駅伝はマラソンの半分の距離ですから!」

 東洋大学の関係者はこの言葉をどう聞いただろう。

「チーム連覇のためじゃないの?」と不思議がっただろうか。

 私は彼の言葉にグッときた。

 箱根駅伝は元来、オリンピックで活躍するマラソン選手を発掘、養成するために創設されたスポーツイベントである。

 服部勇馬の発言こそが原点回帰なのである。

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