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W杯落選、手術……、激動の2014年。
今、中村憲剛が語る「サッカー愛」。
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byJ.LEAGUE PHOTOS
posted2014/12/30 11:00
W杯落選、中断明けの快進撃、そして手術……。中村憲剛の2014年は波乱に満ちたものだった。その1年を越えた中村が改めて語ったサッカーへの感情とは。
「結局、車いすに乗っていたのは初日だけ」
通常骨を削れば出血し、かなりの腫れが生じる。しばらくの間、車いすが欠かせない生活を送ることになり、退院が認められるまで10日は必要になるという。
ところが、彼の左足首に腫れはなく、歩く姿も左足をかばっている風ではない。術後の経過が順調だというのは、落ちついた口ぶりと、ときおり見せる笑顔からも窺えた。
「先生には『運がいいとしか言い様がない』って言われたし、リハビリの先生には『本当に術後1日しか経ってないの? いいねぇ』って。日に日に良くなっていくから、ストレスが溜まっちゃって。特に土、日はリハビリステーションが休みだからベッドに寝てるだけ。もう、発狂寸前(笑)。結局、車いすに乗っていたのは初日だけ。2日目から松葉杖をついて歩いて、退院も予定より3、4日早まったんです」
左足が限界に達した9月27日の仙台戦。
振り返ってみれば、中村にとって'14年は例年にも増して、山あり、谷ありのシーズンだった。
W杯とACLをにらんで健康管理を徹底し、食事にもこれまで以上に気を使い、万全に近い状態でシーズンの開幕を迎えた。
4月末に骨棘が生じたものの、プレーは昨季から引き続き好調だった。ところが、W杯の日本代表メンバーから落選し、直後のACLではラウンド16での敗退が決まった。
どん底の状態でリーグ中断を迎えたが、その間に落選のショックを払拭すると、骨棘による炎症も治まり、中断明けの7月はチームも自身のパフォーマンスも絶好調。「あの頃は、どことやっても負ける気がしなかった」と中村は言う。
ところが、8月の終わりに左足首は再び悲鳴を上げるようになる。それが限界に達したのは、9月27日のベガルタ仙台戦だった。
「いつも試合前はアドレナリンがバッと出るから痛みを消せるんですけど、あのときは、今日はやれないかもしれないというぐらいの痛みがあって、消えなかった」
その仙台戦も、次のアルビレックス新潟戦もフル出場したものの、思うようにプレーできない自分に腹が立ち、イライラが募った。その苛立ちは自分の中だけに収まらず、ついには外へと向けられてしまう。