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W杯落選、手術……、激動の2014年。
今、中村憲剛が語る「サッカー愛」。
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byJ.LEAGUE PHOTOS
posted2014/12/30 11:00
W杯落選、中断明けの快進撃、そして手術……。中村憲剛の2014年は波乱に満ちたものだった。その1年を越えた中村が改めて語ったサッカーへの感情とは。
「自分のミスを人のせいにしたりして、もう最悪……」
待っていたのは、自己嫌悪だった。
「仙台戦と新潟戦、ほんと酷かったです。自分のミスなのに人のせいにしたりして、もう最悪……。(新井)章太には『憲剛さん、ダメ。あれ』って怒られて、(小林)悠にも『怖い』って言われて。ほんとその通り。申し訳なかった」
中村が痛みに顔をしかめる回数が増えた頃、大島僚太がアジア大会に出場するためにチームを離れたり、大久保嘉人には出場停止、移籍話が生じたりした。森谷賢太郎や小林までがケガで離脱するうちに、チームの歯車は狂い、次第に大きな歪みとなってチームから自信や勇気を奪っていった。
「チームは勝てなくなるし、自分はちゃんとサッカーできないし、最後は手術していなくなるという……。ほんと、不完全燃焼で終わってしまった」
'14シーズンはW杯やACLとは別に、中村にとって特別なシーズンだった。プロ入りしたときからの先輩だった伊藤宏樹が'13シーズンを最後にスパイクを脱ぎ、頼れる存在がいなくなって初めて迎えるシーズンだった。
「これまでは宏樹さんが『おまえが熱くなってどうすんだ』って言ってくれていた。宏樹さんに支えられてきたところが多かったんだなってすごく感じた1年だった。これからは自分が変わらないといけないと痛感しましたね」
「あー、早くサッカーしてぇー」
4月末から悩まされ、10月以降は試合を休まなければならないほど苦しめられた痛みの原因は、きれいさっぱり取り除かれた。
最後まで戦い抜けなかったことは不完全燃焼の思いを強め、悔いとして残っているが、少し早い“休息”は、チームと自分について改めて考える時間にもなった。
「理想の形が見えただけに、みんなの欲も高まっている。でも、それだけではダメということも突きつけられた。勝たなきゃ意味がない。最後はグダグダになったけど、(谷口)彰悟や僚太に自覚が生まれて、それが来年に向けての財産になれば、意味のあるシーズンだったんじゃないかと思うんです。嘉人も契約を延長してくれたし、年長者ががっちりとスクラムを組んでチームをまとめていかないと。それはキャプテンである自分の仕事でもある」
足にメスを入れず、内視鏡での手術で済んだため、リハビリ期間が長引くこともなさそうだ。診断結果は全治8週間。チームの始動は1月15日。ぎりぎり間に合うかどうか。
「まだ右足のほうの痛みも残っているし、始動日には間に合わなくても、焦らずにじっくりやりますよ。万全な状態に戻して合流します。来年は1年間ちゃんとサッカーやりたいですから」
もっとも、そう言って、さほど時間が経たないうちに、思わず本音がこぼれた。
「あー、早くサッカーしてぇー。モチベーション、上がりまくりなんですよ」