柱谷哲二の名言 

日本が東アジアで一番弱かった。香港といい勝負で、韓国、中国、北朝鮮はワンランク上に感じました。「ワールドカップに行く」と公言することが失礼でしたから。

柱谷哲二(サッカー)

「ゼンニホン」と呼ばれていたころのサッカー日本代表で、代表選手としての第一歩を記した。1990年イタリアW杯予選、横山謙三監督率いる日本代表で「日の丸カラー」の赤いユニフォームに袖を通した柱谷は、「代表に行くのがイヤだった。勝てないし、苦しい練習が待っている。ボールにいっぱい触れて、勝った負けただったらいいんだけどね。常に相手がボールを持ってて追っかけなきゃいけないんだから。サッカーってこんなに楽しくないんだとすら思いましたもん」と、夜明け前の暗黒時代を振り返った。

Number630号(2005/06/16)

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