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ありがとう、そして……さようなら。
名店「もつ鍋わたり」を忘れない。 

text by

村瀬秀信

村瀬秀信Hidenobu Murase

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photograph byHidenobu Murase

posted2014/08/04 16:30

ありがとう、そして……さようなら。名店「もつ鍋わたり」を忘れない。<Number Web> photograph by Hidenobu Murase

6月30日で閉店した「もつ鍋わたり」。中野渡さん、9年間ごちそうさまでした。

「俺ははじめて人生の5年先を考えたんだよな」

――店を閉めた直接の理由は、恩人の方から仕事の誘いを受けたことだと聞きましたが。

「理由はひとつじゃねぇよ。ちょうど健が独立して、恩人からの誘いがあって……いろんなタイミングがあったんだよな。

 だけど一番はあの人に影響されちまったってことが正直あるよな。去年の秋、谷繁さんが就任会見で言ってただろう。『厳しい環境に身を置いて自分自身を成長させたい』『自分で“無理”と思うと、そこで全てが止まってしまう』ってよ。あの人、43歳で日本一何度も経験して、2000本打って、それでもまだ自分を高めようと勝負している。

 男として最高にカッコイイよ。俺はさ、野球をクビになった時、とんでもないパワーがあったんだよな。人生を賭けて野球をやってきて、やっとプロ野球選手になれた。なのに、クビだ。戦力外だ、あいつは使えねえって。犯罪者みたいな扱いされてよ、カマしてんじゃねぇよこの野郎ってガムシャラに戦えた。

 あの気持ちは黙ってても毎日お客さんが入ってくれる今の環境じゃ持てない。それは別に悪いことじゃねぇよ。でも、心のどこかにこのままでいいのか……という思いがあった。その時、昔から目の前の打者を全力で打ち取ることしか考えてこなかった俺が、はじめて人生の5年先を考えたんだよな」

このシリーズ、“加工屋”わたりとして続くかも?

――その結果が加工業という仕事だったと。

「まぁな。もう飲食には戻らねぇよ。俺たち兄弟のもつ鍋は、秋になったら健のこの店で出してくれるみてぇだからな。俺はまた借金して機械揃えてさ、ものづくりの勉強もゼロからはじめたんだ。

 ただ、この仕事は職人的な技術屋の世界だと思っていたんだけどな……毎日毎日、X軸とY軸Z軸やらの計算ばっかりじゃねぇか。知らねぇって。俺たち、方程式の授業をやっていた頃、死ぬぐらい走ってたんだからよ。わかるわけがねぇんだけど、投げ出すわけにはいかねぇだろ。

 寝る間も惜しんで気合と根性とボディランゲージでマスターして、バリバリ金稼いでよ。いつか、木塚が『コーチ修行に行きたい』と言ったら『メジャー30球団全部見てこい』って行かせてあげられるようになるんだからな、俺は。だから、当分は野球の与太話をしてる余裕もねぇからな」

――なるほど。もつ鍋わたり閉店の事情はよくわかりました。……ところで、大変ご多忙の折に、貴重なお時間を拝借して誠に申し訳ないんですけど……ベイスターズが好調です。

「…………あぁ!? この期に及んで、まだモバ浜の話をしなきゃなんねぇのかよ! あんなシケシケのチームどう転んだってギリギリ5位がいいとこだって。詳しいことはしらねぇよ。うちは加工屋だからな!」

――ありがとうございました。このシリーズ、“加工屋わたり”として続くかもしれません。

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