野次馬ライトスタンドBACK NUMBER
ありがとう、そして……さようなら。
名店「もつ鍋わたり」を忘れない。
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph byHidenobu Murase
posted2014/08/04 16:30
6月30日で閉店した「もつ鍋わたり」。中野渡さん、9年間ごちそうさまでした。
最終日の打ち上げに唯一顔を出したプロ野球関係者は?
「もつ鍋わたり」最後の1カ月は話を聞いてか聞かずか、怒涛の予約で埋まり、連日連夜の大盛況となったという。そして、最終日。もつ鍋わたりは23時30分にすべての営業を終えた。
「憑き物が落ちたというか、本当にスッキリした顔をされていました。理不尽にクビになって、そこから反骨心で店をはじめて10年。僕が言うのも生意気ですが、わたりさんは店を終えることで、プロ野球選手としてやっと成仏されたんじゃないかなと思えました」
元ベイスターズの高森勇旗氏は、現役時代に中野渡氏と直接的な繋がりはないものの、十八番の木塚敦志コーチのモノマネが認められ、中野渡氏とはキズナではなく“キヅカ”で繋がる関係を構築。「もつ鍋わたり」最終日となった6月30日の打ち上げに唯一顔を出したプロ野球関係者となった。
最後の打ち上げに、涙はなかった。
「最終日、仕事が終わって深夜0時頃に国分寺の店に駆け付けた時には、もう店が閉まっていたんです。聞けば久米川にオープンした弟の健さんのお店にいると言われ、急いで向かうと、アルバイトの人たちと金八先生の卒業式みたいな“贈る言葉”をやっている最中でした。
わたりさんは、ことあるごとに『俺は店なんて向いてなかった』『接客に向いてねぇ』と言っていましたね。しんみりした空気はなかったですけど、最後の日ということで健さんが気を効かせたのでしょう。モニターで、木塚さんの引退試合のVTRを流したんです。わたりさんは、それを眺めながら『キィ………キィ………キィ……』とうわ言のように呟いていました。
あの試合、新井(貴浩)さんが二塁打を打つじゃないですか。案の定『テメェコラ、何打ってやがんだコラ、●●●の×××』とブチギレてしまって……」
その夜、最後のもつ鍋わたりご一行は、夜が明けるまで10年間の思い出を語り尽くしたという。そこには涙なんてない。あるのは、笑顔と懐かしさと、感謝。そして、久米川のタクシー乗り場でいつまでもいつまでも木塚コーチのモノマネを強要され続けた高森勇旗の姿であったという。