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坪井智哉、米独立リーグで現役続行!
迷える盟友にイチローがかけた言葉。
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph bySports Graphic Number
posted2014/04/14 11:50
坪井智哉・公式フェイスブックより。「独立リーグの中では最高峰と言われており、メジャーやマイナーとの入れ替えが頻繁に行われているリーグ。少しでも夢に近づく為、このリーグでプレーすることを2年前から望んでいました」と夢へと一歩前進したことが報告されている。
3週間足らずでリリースされて「浪人生活」も経験。
心構えはあった。だが、やはり現実を突きつけられると「もっとプレーさせてくれよ」と活躍の場を求める自分がいる。
サンラファエル・パシフィックスには2カ月しかいられなかった。
試合でダイビングキャッチを試みた際、左肩を亜脱臼してしまったのだ。全治2週間。そのことを監督に告げると、「残念だ」と言われた。初のリリースだった。
その直後の7月、アメリカン・アソシエーションに属するゲーリー・サウスショア・レイルキャッツと契約したが、低迷するチーム事情から「若い選手を育てたい」と3週間足らずでリリース。坪井は、「浪人生活」を強いられることとなった。
知人の紹介を通じてロサンゼルスの施設を借り、左肩のリハビリも兼ねた練習の日々。住まいはホームステイ。月500ドル程度で水道光熱費、Wi-Fi代込みだったそうだ。
浪人生活が長引けばプレーヤーとしての寿命は縮まる一方だ。それでも、坪井は「仕方がない」と割り切った。
絶対にチームは見つかる、と信じて準備をするしかない。
「不安がっても何も始まらないじゃないですか。今の僕にとって一番怖いのは、チームが決まった時に怪我が完治していないとかでプレーできない事なんですよ。だから、『絶対にチームは見つかる』と信じて準備をするしかないじゃないですか。まあ、ロスにいるときは友達もいないしやることがないから、結局は野球をするしかないんですけど(笑)」
坪井の信念は、ノース・アメリカン・リーグのリオグランデバレー・ホワイトウィングスへの入団という形で実を結んだ。ここでは、指揮官の理不尽な方針に馴染めず1カ月でチームを去ることになってしまうのだが、それでも坪井は下を向かなかった。
「自分が良かれと思ってやっていることが全部マイナスに評価されてしまった、みたいな感じでしたね。『こういうこともあるんだな』って勉強にはなりましたけど」
この時点で独立リーグのシーズンが終了。日本に戻ってからも、坪井は新しい所属先が決まるまでの準備を怠らなかった。